なら再発見
第1回へ                  第2回 2012年10月13日掲載                  第3回へ
桜井「初瀬街道」の郷土玩具 ――埴輪が生んだ出雲人形
 桜井市の三輪山南麓から長谷寺に向かう国道165号沿いに「出雲」がある。初瀬街道に面し、長谷詣(もう)でや伊勢参りで賑(にぎ)わった地だ。ここで作られる出雲人形が土産物として人気を集め、「出雲人形を買って帰らんと、長谷詣でしたことにならん」というほどのヒット商品であったという。
 出雲人形は大和出雲人形とも呼ばれる。粘土を型に押して焼き、彩色して仕上げる素朴な人形で、一体一体が手作りだ。
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 出雲人形のルーツをたどれば、野見宿禰(のみのすくね)という出雲の国の勇士に触れなければならない。第11代垂仁天皇の面前で当麻蹶速(たいまのけはや)と対戦して勝った「相撲の神様」だ。
 宿禰は力だけでなく、知恵もすごかった。埴輪(はにわ)を考え出したアイデアマンでもあったとされる。
 当時は大王の死去に伴う殉死の習慣があったが、出雲の国から土師(はじ)を呼び寄せ、代わりに埴輪を作って埋めさせたといわれる。  この埴輪製作の技術が、出雲人形のルーツとされている。呼び寄せた土師の人々が住んだところが、出雲と呼ばれるようになった。 
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 鉄道の開通で街道筋がさびれたことから、一旦は途切れた人形作りだったが、出雲で最後まで焼き続けた水野家が昭和35年に再興させた。いまも水野家の玄関には「初瀬名産 大和いずも人形窯元 水野徳造」の木札がかかっている。
 8代目の水野佳(みずのか)珠(ず)さんが製作工程を語ってくれた。
 「まず表土の下から土を取って、打ったり練ったりします。それから型に粘土を詰めます」。均等に押し付けることが難しいという。
 表裏の2つの型から作った形をていねいに接合し、もみ殻を積み上げて30時間ほどかけて、ゆっくりと焼く。焼きあがった人形に胡粉(ごふん)(白顔料)で下塗りし、泥絵具で絵付け。息をつめて一気に目のラインを引いて彩色を終え、完成させる。
 「人形の形を作る時には湿気が必要です。彩色仕事はニカワが腐りやすくなる夏場はできません」
 制作には季節と天候を選ぶ必要がある。
 「人形作りには熟練と気持ちが大切。人形は生きてなあかん。出雲人形は表情が勝負です」と水野さんは言い切る。
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出雲人形を制作する水野佳珠さん=桜井市
 出雲人形は、古墳を守る埴輪の気持ちを今に表したという左前人形。死者と同じく衣服を左前に着ている。宿禰にちなんだ「力士」、祝儀のシンボルである「俵(たわら)牛(うし)」などがあり、最近は「御高祖(おこそ)頭巾(ずきん)」「唐人」などの人形も人気という。
 水野さんは「めでたいものを求められる。左前人形が健気(けなげ)に家や家族を守る姿に惹(ひ)かれる人も多いです」という。
 古(いにしえ)の風情をしのばせる素朴な色合いと姿形の出雲人形は、県の数少ない郷土玩具として「県指定伝統的工芸品」にも選ばれている。

(奈良まほろばソムリエ友の会 雑賀耕三郎)
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