なら再発見
第27回へ                  第28回 2013年5月11日掲載                  第29回へ >
若葉の吉野山 ―― 蔵王堂ご本尊も特別公開
 
 吉野山の季節料理店「静亭(しずかてい)」の若女将から「吉野山は新緑真っ盛りですよ」との便りと、たくさんの写真を送っていただいた。桜葉の澄んだ香りが写真から立ちのぼってきそうだ。
 毎年5月から6月にかけての時期は、吉野山の「隠れ観光シーズン」だ。木々の青葉がとてもきれいで、春の山菜もたくさん出回る。訪れる観光客も少ないので、静かな吉野山の風情を楽しみながら、おいしい山菜料理と地酒に舌鼓を打つには絶好の季節というわけだ。時折、ホトトギスの声も聞こえてくる。
 さらに今年は6月9日まで、金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂の秘仏ご本尊が特別開帳されている。
 考えてみると、吉野山は決して花見だけの山ではない。金峯山寺は金峯山修験本宗総本山で、修験道の聖地である。
 東大寺二月堂修二会(しゅにえ)(お水取り)では、全国約1万4千カ所の神々の名を記した「神名帳(じんみょうちょう)」が読み上げられるが、その冒頭が「金峯大菩薩」。つまり、蔵王堂の金剛蔵王権現である。
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 吉野山は、山上ヶ岳を経て熊野三山へと続く修験道の修行の道「大峯奥駈道 (おくがけみち)の北端にあたり、平成16年にはユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録された。
 平安時代末期、源義経・弁慶らは頼朝に攻められ、吉野山に身を隠した。しかしここで追討を受け、静御前と別れて、東国へ脱出したといわれる。
 歌人、西行は山上に庵を結んだ。岩を伝って流れる清水に感嘆し「とくとくと落つる岩間の苔清水 汲み干すほどもなき住居かな」と詠んだ。
 西行を慕ってこの地を訪ねた松尾芭蕉は「露とくとく試(こころ)みに浮世すすがばや」という句を残している。
 後醍醐天皇の吉野朝(南朝)の哀史は「太平記」に登場する。芭蕉の弟子の各務支考(かがみしこう)は「歌書よりも軍書に悲し吉野山」と詠んだ。
 多くの文人墨客(ぶんじんぼっかく)が訪ねた吉野山から「吉野八景」が選ばれた。近江八景や金沢八景と同じく、中国の瀟湘(しゅうしょう)八景をお手本にしたものだろう。
青葉のシーズンを迎えた吉野山=吉野町  
 「長峰の彩霞(さいか)」(吉野神宮周辺の春霞)、「七曲りの暁桜(ぎょうおう)」(下の千本・七曲坂の夜明け前の桜)、「吉水の庭月」(吉水神社の庭に照る月)、「塔尾(とうのお)の暮鐘(ぼしょう)」(中の千本・如意輪寺の夕方の鐘の音)、「雨師(あめし)の新緑」(上の千本・雨師観音の若葉)、「金峯(きんぷ)の杜鵑(ほととぎす)」(金峯神社の森で鳴くホトトギスの声)、「苔清水(こけしみず)の時雨(しぐれ)」(奥の千本・西行庵近くの苔清水に降るしぐれ)、そして「青根ヶ峰の霽雲(せいうん)」(青根ヶ峰の雨上がり)の8つだ。
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 きちんと雨師の「新緑」が入っている。この雨師観音堂は明治8(1875)年に廃され、跡地には竜王社という小さな神社が建っている。
 正岡子規は「若葉かな さては吉野も只(ただ)の山」という戯(ざ)れ句を詠んでいるが、どうやら想像で作った句のようだ。吉野山の若葉を目にしていたら、只の山どころではないとすぐ分かっただろうに。
 NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が行うウォーキングツアー「まほろばソムリエと巡る大和路」(全9コース)には、吉野山を訪ねる2コースがある。雨師観音堂跡を含む吉野山の史跡を歩く「修験道と吉野の神々を巡る」と、如意輪寺や宮滝にまで足を延ばす「後醍醐天皇と天武天皇の宮跡をたどる」だ。
 詳しくはサイト(http://sguide81.blog.fc2.com/)

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)
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