なら再発見
第45回へ                  第46回 2013年9月21日掲載                  第47回へ >
日本最古の市場 海柘榴市 ―― 古代の国際交流の玄関口
 
 三輪山麓を流れる初瀬川(大和川)流域の桜井市金屋付近は、海柘榴市(つばいち)と呼ばれた日本最古の市場があった場所だとされる。万葉集に「海柘榴市の八十(やそ)の衢(ちまた)」と歌われた古代の交通の要衝(ようしょう)だ。
 周辺には、歴史に登場する日本最古の道ともいわれる山の辺の道をはじめ、飛鳥へ続く磐余(いわれ)道、竹内街道に延びる横大路(よこおおじ)、伊勢へと続く初瀬街道など当時の幹線道路が集まっていたうえに、大阪から大和川を遡(さかのぼ)ってくる船便の終着点であったという古代きっての交通ターミナルだった。
 そのため人が行き交い、物流も活発になって、我が国最古の市場ができたのだろう。
 市が立つ場所は人の交流が盛んなので、万葉の時代には歌垣(うたがき)の舞台でもあった。そこでは男女が恋の歌を相手に歌いかけ、求婚したという。影姫(かげひめ)と平群鮪(へぐりのしび)との恋が、皇太子時代の武烈(ぶれつ)天皇の横恋慕(よこれんぼ)によって悲しい結末を迎えることになったという影姫伝説も、ここの歌垣が舞台だった。
 また海柘榴市は、隋や唐の文化の花咲く国際色豊かな街だった。日本書紀によると、552年、百済の聖明王(せいめいおう)の使者が海柘榴市に上陸し、磯城嶋金刺(しきしまのかなさしの)宮の欽明天皇のもとに経典とともに仏像を届けた。


海柘榴市があったとされる桜井市金屋付近

 さらに608年、遣隋使・小野妹子が隋使の裴世清(はいせいせい)とともに隋から帰国した際、飾り馬75頭を路上に並べて歓迎したと伝わる。
 今は水量が少なく、とても船が通れるような川ではない。ここが古代には海外との玄関口になっていたと聞いても、簡単には想像できないが、堤防に立つ「仏教伝来の地」の石碑や、飾り馬のモニュメントなどが当時を物語る。
 平安時代には、長谷寺や伊勢参りの宿場町として栄え、紫式部や藤原道綱の母など多くの文人が訪れた。清少納言は枕草子に、海柘榴市の賑(にぎわ)いぶりを描いている。


9月7日に開催された「歌垣火送り」
 聖徳太子や小野妹子、清少納言が、この地でウインドーショッピングを楽しんでいたのかと思うと、それだけで楽しくなってしまう。
 当時最大のショッピング街であり、また各国からの使者を迎え入れた国際的な玄関口でもあった海柘榴市。今は往時の面影は全く残っておらず、わずかに集落に立つ道標や海石榴市観音堂にその名を留めるだけである。
 桜井市は海柘榴市の隆盛を復活させようと、毎年9月、金屋の河川敷公園で「大和さくらい万葉まつり」を開催している。今年は7日に開催された。いつもは閑静なこの場所も、この日ばかりは「現代版海石榴市」や、古代衣装を身にまとい、万葉集歌を歌いあげる「うた語り」などのイベントで盛り上がる。
 特におすすめは、数千の灯篭(とうろう)が初瀬川の川面を照らす「歌垣火送り」。その幻想的な光景を目の当たりにすれば、古(いにしえ)に想いを馳せずにはいられない。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 露木基勝)
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