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さなぶり餅と御杖村半夏生大群落 ―― 田植え終え田の神に感謝
 
 さなぶり餅はつぶし小麦と、もち米を混ぜてついた小麦餅の一種で、きな粉をかけて食べる。夏至(げし)から11日目の半夏生(はんげしょう)(7月2日)に田植えを無事終えた農家が田の神に感謝の気持ちを込めて供え、ともどもあぜ道で食して喜んだものだ。
 大阪では稲の根がしっかりと張るようにタコを食べる習慣があるが、奈良県中南部から中西部にかけては古くからこの小麦餅を作って食する習慣があった。
 半夏生とは旧暦の季節を表す言葉で、薬草である片白草(かたしろぐさ)を江戸時代には半夏ともいい、これが生える頃をそう呼ぶようになったという。
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 農家が少なくなり、季節限定でなかなか手に入りにくいこの餅が、橿原市のおふさ観音寺参詣道で販売されている。
 年中販売している門前の「さなぶりや」のご主人は「かつてはつぶし小麦を自前で作っていたが、精白(せいはく)した小麦粉が主流になり道具を手放した」と説明。


きな粉をかける前の「さなぶり餅」と半夏生の一枝

 「ところがオーストラリアへ行くと、パン用にふすまの混じった全粒粉(ぜんりゅうふん)が当たり前のように使われているのを目の当たりにし、昔ながらの小麦餅をなんとしても復活しようと思い立ち、高取町兵庫の古川米穀店に昔ながらのやり方でつぶし小麦にしてもらっている」と話す。
 また、「吉野川から紀の川に沿って小麦餅の文化が広がったようで、田原本以南の橿原、明日香、大淀、御所、葛城、香芝など小麦栽培域であった奈良県南部に今もこの食文化が残っている」とも教えてくれた。
 小麦は外側が堅く中が柔らかい。モミをとった小麦を湿らせて磨き砂と一緒につき、その後磨き砂を落とす工程を経て、湿らせた麦をローラーで押しつぶすと微粉にならず、ふすま(茶色の薄皮)がついた直径5ミリ程度の円形の薄いつぶし小麦ができる。
 この製法で加工したつぶし小麦ともち米を餅にすると、麦のツブツブが残り独特の食感と野趣あふれた香りを醸し出す。
 また、畝傍駅からの参詣道にある「竹村榮壽堂(えいじゅどう)」では、7〜9月の1日)に手つきでのし餅にして店頭に出る。「つぶし小麦は山の中でおじいさんが一人で“唐碓(からす)”でついているところから仕入れている」と話す。
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半夏生の大群落=奈良県御杖村

 葛城市では酪農が盛んであったことから、小麦餅をつくときの手水(ちょうず)に牛乳を使ったものが工夫され「ふたかみパーク當麻」で販売されている。
 今では「半夏生」といえば植物名が連想されるのが普通となったが、この草はこの時季になると茎の上部の葉1、2枚だけが一夜にして葉の半分ほどが白色に変ずる。緑一色の季節、30センチほどの背丈の草の上に白い蝶がとまっているようで涼しげだ。
 不思議なことに、夏が過ぎると元の緑の葉に戻る。湿った土地では地下茎を伸ばして旺盛に繁殖し、さし芽もできる強い植物だが、一般には目にすることが少なくなり、奈良県では準絶滅危惧種に指定されている。
 しかし御杖村(みつえむら)岡田の谷ではこの半夏生の大群落を観賞することができる。圧倒される景観だ。白化は平地より遅く、7月中旬からが見頃だ。
 季節感あふれる美しい響きの日本語と、小麦餅の文化が末永く残るとともに、神秘的な植物・半夏生への関心が高まることを願わずにはいられない。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 藤村清彦)
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