< 第113回へ 第114回 2015年03月14日掲載 第115回へ > |
田道間守と橘 ―― 漢方薬として珍重された橘 |
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近鉄橿原線の尼ヶ辻駅から西ノ京駅に向かう車窓から見えるのが、垂仁天皇陵(すいにんてんのうりょう)(宝来山(ほうらいさん)古墳)だ。濠(ほり)に囲まれ緑の木々に覆われた前方後円墳の姿が美しい。
日本書紀には、第11代垂仁天皇が田道間守(たじまもり)を常世(とこよ)の国に遣わして「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)(時を選ばずに香る果実)と呼ばれる不老不死の力を持った霊薬を探させたと記されている。10年後彼が橘の実を手に入れて帰ってみると、天皇は1年前に既に亡くなっており、彼は嘆き悲しんで死んでしまった。
その墓が垂仁天皇陵の濠に浮かぶ小島という。御陵の前には彼が持ち帰ったといわれる橘の木が植わっている。
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明日香村の橘寺は、聖徳太子誕生の地で、太子建立7カ寺の一つといわれる。第12代景行天皇が田道間守の遺徳をしのび、橘の実を土地にまくと芽を出したのでこの地を橘と呼ぶようになったと伝えられている。境内の方々に橘の木が植えられ、本堂には田道間守の尊像を祀り、毎年5月3日には追善法要「橘祭」が行われている。
また田道間守は、黒砂糖を持ち帰り橘とともに薬として用いたので、のちにみかん、薬、菓子の祖神とあがめられ、県外の神社でも祀られている。
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橘寺の橘の実
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橘は、別名ヤマトタチバナ、ニッポンタチバナともいい、日本における柑橘(かんきつ)類の固有種だ。静岡県から南の太平洋沿岸地域に今でもごくわずかに自生し、環境省の準絶滅危惧種に指定されている。
橘の木は高さが2〜4メートル、枝は緑色で密に生え、若い幹には棘(とげ)がある。楕円(だえん)形の葉は固く濃い緑色で光沢がある。6月に咲く花は純白色の小さな五弁で、香りが高い。冬に実る果実は直径3センチほどと温州ミカンより小粒で、酸味が強く生食用には向かないため、マーマレードなどの加工品に利用される。
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古代、橘は食用よりも漢方薬として珍重され、特に芳香を放つ花や葉が親しまれて、万葉集にも詠われ、文様や家紋にも用いられてきた。
万葉集には、橘を詠った和歌が約70首ある。中に、皇族の葛城王(かつらぎおう)が臣下に下り橘諸兄(たちばなのもろえ)と名乗った際に、橘家の繁栄を願って聖武天皇が詠んだ歌がある。
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田道間守の墓とされる垂仁天皇陵の濠に浮かぶ小島
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橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の木(巻6−1009)
昭和12年に制定された文化勲章には「永遠であるべき文化の象徴」として、橘の花がデザインされている。
3月3日のひな祭りには、左近の桜と対で右近の橘がひな段に飾られる。平安京内裏(だいり)の紫宸殿(ししんでん)の庭に植えられた橘と桜にちなむといわれ、現在の京都御所にも植えられている。
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「なら橘プロジェクト(橘街道プロジェクト)」という運動がある。奈良市の平城京跡から、藤原京跡を通って橘寺に至る「橘街道」にヤマトタチバナを植樹・育成、実を活用した商品を開発し、奈良ブランドの名産品として全国、全世界へ発信してゆこうというものだ。平成24年から約2千本が植樹され、昨年春、内閣官房地域活性化モデルケースに選ばれた。橘街道は古代の官道「中ツ道(なかつみち)」と重なる。
先月、県と明日香村と民間会社「ケイミュー」は官民一体事業として、高松塚古墳に隣接する遊休地に、橘農園(橘の里)を開園すると発表した。橘を栽培し、実を利用した商品開発や販売をおこなうという。ちなみに明日香村の村の花は橘だ。
春は白い花が咲き、冬は黄色の実がなる香り高い橘の街道や農園を訪れてみたいものだ。
(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 石田一雄)
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