やまとの神さま
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第46回 2023年06月01日掲載
町内に3社、祇園祭ゆかり  杵築神社(三宅町)


三宅町に三つある「杵築神社」のうち、旧名「牛頭天王社」の灯籠が残る同町屏風の杵築神社

 三宅町は、県内で面積が最小の町で、聖徳太子ゆかりの太子道(たいしみち)が南北に走ります。この町には「杵築(きつき)神社」が3社もあり、屏風(びょうぶ)、伴堂(ともんど)、但馬(たじま)3地区の氏神となっています。
 屏風社と伴堂社は「おかげ踊り」の絵馬(県有形民俗文化財)で有名。幕末の伊勢神宮の集団参詣「おかげ参り」の後、各地で流行した豊年祈願と感謝の踊りです。
 3社は、江戸時代までの神仏習合時代は牛頭天王(ごずてんのう)を祭り、屏風社には牛頭天王社の灯籠(とうろう)があります。牛頭天王はインドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神で、疫病や災厄を司ると考えられ、当時の人々はこれを慰める「御霊会(ごりょうえ)」を実施。各地に広まり、祇園祭になったと言われています。
 明治の神仏分離以降、牛頭天王と同じ神様と考えられていた須佐男命(すさのおのみこと)に祭神を変更しました。
 杵築神社に改称したのは、島根県の出雲大社が関係しているとされます。出雲大社は、江戸時代の初めまで土地の名にちなみ杵築大社(おおやしろ)と呼ばれ、祭神はスサノオノミコトでした。その後、祭神を大国主命(おおくにぬしのみこと)に変え、1871(明治4)年に出雲大社(おおやしろ)と改称しました。
 杵築大社はスサノオノミコトを祭る総本社なので、三宅町の3社も改称の際、杵築の名を採用したと推測されます。

(奈良まほろばソムリエの会会員 石田一雄)


【3社共通】祭神は須佐男命▽参拝自由▽駐車場なし
【屏風社】三宅町屏風115▽近鉄結崎駅から徒歩約20分
【伴堂社】同町伴堂500▽近鉄黒田駅から徒歩約10分
【但馬社】同町但馬279▽近鉄但馬駅から徒歩約5分

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