和爾下(わにした)神社は、北の横大路(別名業平道(なりひらみち))と上ツ道(かみつみち)の交わる天理市櫟本町に在り、4世紀末から5世紀初頭に築造された全長105メートルの前方後円墳(和爾下神社古墳)の後円部上に鎮座しています。
また、平安後期の古記録「東大寺要録」では、神護景雲(じんごけいうん)3(769)年、東大寺領の櫟庄(いちいのしょう)に水を引くために、高橋川(現高瀬川)を付け替えし、参道も新しく真っすぐに改修したとあり、神社が治道(はるみち)の森と呼ばれたことから、治道宮と書かれた石燈籠が現在も多く残っています。
明治初年に平安時代の神社一覧である「延喜式神名帳」では、和爾下神社二座の内の一座で、約3キロメートル西の大和郡山市横田町にある下治道宮に対して上治道宮であると考証され、社名を和爾下神社と定められました。
本殿(重文)は、檜皮葺の屋根で、三間社切妻造(さんげんしゃきりづまづくり)の一間向拝付(いっけんこうはいつき)(正面の柱間が三つあり、真ん中の屋根が前に伸びた建築様式)で桃山時代の装飾が施されています。
古くは祭神を櫟井臣(いちいのおみ)・和珥臣(わにのおみ)の祖神とされる孝昭(こうしょう)天皇の皇子・天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)でした。現在は素戔嗚命(すさのおのみこと)で本地が牛頭天王であることから治道天王とも呼ばれ、祇園祭の宵祭りは、地域行事の円筒埴輪に灯火が揺れる灯火会、本祭りは子ども神輿や演芸会でにぎわいます。
(奈良まほろばソムリエの会会員 齋藤惠千)
(住所)天理市櫟本町2490
(祭神)素戔嗚命、大己貴命(おおなむちのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)
(交通)JR櫟本駅から東へ徒歩約15分
(例祭)7月14日「祇園祭」、10月第2日曜日「秋祭」
(拝観)境内自由
(駐車場)約5台・無料
(電話)なし
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