祈りの道を歩く――西大寺界隈――

12月15日(木) 交流部会・歴史地理サークルとして第3回目、町並みウォーキングを実施しました。
今回は、市井の歴史地理考古学博士? 我が歴史地理サークルの岡 誠さんに、西大寺界隈を語っていただく、ハイク&トークです。

近鉄学園前駅に集合した19名は、まずは大和文華館へ
大和文華館広場で、神武天皇東征の道(日下越え)から始まった本日のコース概要の説明です。

大和文華館から中野美術館へ
ガラス窓の外に映える風景さえ絵になるような小さな美術館の前で、村上華岳画伯の代表作「日高河清姫図」「裸婦図」を紹介。近代絵画に縁の薄い?ソムリエの皆さん、やや戸惑いも。でも、周りの景色と説明に引き込まれて、何となく理解できたような気持になったのも不思議です。

最古のため池 かえる股池から高塚山・称徳御山荘へ
佐紀盾列古墳群の一角に佐紀高塚古墳(称徳天皇高野陵)があります。成立年代が4~5世紀中葉とするのが定説で、称徳天皇の没年からすると、本来の称徳陵でないことがはっきりしています。
旧地名「伏見町大字西大寺小字高塚」の存在、また、古地図で西大寺の西方に高塚なる地名を確認できるため、そこを称徳陵に推す説が有力です。現在の高塚町に鷹塚山なる小高い丘があって眺望が良い。西大寺の建設工事を眺めるには打って付けの場所だっただろう。
まだ多くの支持を得るまでには至っていないが、現地を自らの足で歩き、見て、肌で感じ取るのが、ソムリエ。
全員小高い丘の上で説明を聞き、周りの眺望と地図を併せ見てここに間違いない、と全員納得した面持ちで丘を降りました。

西大寺宝ケ丘町は、称徳天皇御山荘跡との伝承がある。そこから黄金銭31枚が出土した。もう1つ、住宅地の中に称徳天皇の瑠璃宮跡と刻んだ石碑が立つ。あやめ池から西大寺一帯、何の変哲も無い住宅地ですが、まだまだナゾの多い土地です。
今や西大寺の恒例行事になっている“大茶盛り”、そのお茶うけとして出される菓子が、「金銭菓」、かの黄金銭、開基勝宝を形どったお菓子とのこと。
来年はぜひ大茶盛りに参加し、脇役の金銭菓を賞味したいものです。

体性院からイモジ池跡、西大寺へ

鋳物師池跡の碑
何気なく実をつける くこの木

最後に訪れた西大寺では世阿弥が謡曲「百万」に仕上げた民話から始まり、百万の能舞台を描いた絵巻が近年米国で発見されたことまで、留まるところのない岡さんの解説でした。

お洒落な佇まいを見せる学園前やあやめ池界隈ですが、一歩道を外れると、思いのほか古の奈良が見え隠れする“祈りの道を歩く”でした。
古地図や手書資料を駆使し、ご案内頂いた岡さん、本日参加の各サークルの皆さん 有難うございました。集合写真は、小林俊夫さんに提供頂きました。

奈良まほろばソムリエ友の会 交流部会・歴史地理サークル 豊田 敏雄