太安万侶の遺骨を故郷に分骨のニュース

10日ほど前に報道発表されているので、皆さんご存知のことと思います。
私はソムリエ友の会と提携している「今奈良.jp」の豆知識コラムの執筆者の一員ですが、3月に掲載されました「コラム16 太安万侶の祖先を祀る 多神社」の中で、今回報道発表されました田原本町で安万侶のものと伝えられてきた古墳について書きました。
昨年11月に磯城のみち・ボランティアガイドさんの案内で田原本のウォーキングをしたときに、通称「安万侶の参り墓」について、その存在を初めて知り、場所をお聞きしていました。
「多神社さん所有になったときいている、今後整備されるのではないか」とのお話でした。後日観光ステーションの方に場所の詳細を聞き、探しに行きました。

残念ながらこの写真は豆知識コラムに掲載されませんでしたが、今回いくつかの新聞には多神社の宮司さんとともに写真が掲載されましたので、跨線橋がすぐ近くにあり、近鉄橿原線が脇を通っていることが見てわかったと思います。
場所探しに同行してくれた友人が持っている本(奈良市此瀬町で安万侶の火葬墓が発見される以前に出版)には、「太安万侶の墓と伝えられる」と記載されていました。以前には立看板があったそうですが、今は何もなく、盛土だけを見てそれとわかる人はいないと思います。
この写真(1月撮影)のように、まるで小さな稲叢のようで、農作業ででたものをためておくような場所にさえ見えました。しかし、注意して見ますと、盛土の周りの稲は、盛土を避けて、その周囲をぐるりと丸く植えられていたことがわかります。古墳の周濠あとを稲作に転用しているところ(例:掖上鑵子塚古墳)で見られる光景と同じです。
命日の7月6日に納骨され、追悼碑などを建てる計画だそうで、古事記のふるさとにふさわしい、縁の場所となることでしょう。

まりも(辰馬真知子)

<現地への行き方>
◎車の場合――国道24号線十市町交差点を西に行きますと、寺川にかかる橋をわたり、(ここを直進するのが例の跨線橋)すぐの信号を左折(南)すると、昔の下つ道で、道幅の広いところがあるので、そこに車を止めて見学に行ってください。西側の田んぼの中です。
◎徒歩の場合――新ノ口駅が最寄りです。昔の下つ道に沿って、北へ向かい、跨線橋が見えてきたら、その手前の西の田んぼの中です。