忍坂と三本松の旅 参加報告 保存継承グループ

保存・継承グループへの入会者が30名になった。そこで9月は定例会議の開催をやめ、桜井市忍阪(おっさか)で「石位寺三尊石仏」を中心に先駆的な情報発信や保存活動を行っている忍阪自治会、宇陀市三本松中村で、「安産寺地蔵菩薩立像」を数百年間もお守りしている子安地蔵保護委員会の2か所を訪ねた。行程の都合もあり、大野寺磨崖仏と海神社(かいじんじゃ)も拝観した。

日 時   平成25年9月14日(土)
場 所   桜井市忍阪から宇陀市室生三本松中村へ
参加人数  12名
行 程
 9:00 桜井駅南口集合
 9:20 大宇陀行きバス、約10分「忍坂」下車、徒歩5分
 9:35~10:35 石位寺三尊石仏拝観と森本区長のお話)、徒歩30分
        (途中で、玉津島明神、忍阪座生根神社に立ち寄り)
 11:12 近鉄大和朝倉駅発、榛原駅乗換 11:31室生口大野駅着、徒歩9分
 11:40~11:50 大野寺磨崖仏拝観
 11:50~12:20 宇陀市室生振興センターで昼食、徒歩10分
 12:30~13:00 海神社
 12:52 近鉄室生口大野駅発、12:55 三本松駅着、徒歩10分
 13:05~13:55 安産寺地蔵菩薩立像拝観、三本松駅へ
 14:12 近鉄三本松駅にて解散、乗車
備 考   (水筒・弁当持参、拝観料500円/人)

(桜井駅集合)
午前9時 桜井駅南口に集合。大宇陀行桜井市コミュニテイバスで国道166号線を走り「忍坂」下車。
桜井市コミュニテイバスの菟田野・大宇陀方面は。平日で1日8便、土日祝は1日6便しかなく、始発9時20分の次は11時55分となる。通勤・通学で桜井駅を利用する人は自家用車やバイクで駅まで来るようだ。
(石位寺)
忍坂バス停から徒歩で「石位寺(いしいでら)」へ到着。まずは収蔵庫内に入れていただいて安置されている重要文化財の石造浮彫伝薬師三尊像を拝観。庫裏で忍阪区の森本藤次区長に石位寺だけでなく、忍阪区全体の活動について、お茶の接待をいただきながらお話を伺った。
高円山(こうえんざん)石位寺は、現在無宗派、無住の寺で忍阪区(約100戸)が管理している。17年前まで住職がいたが、その後無住となり、法事の際は桜井市の来迎寺(融通念仏宗)にお願いするとのこと。
三尊石仏は、日本で最も古い石仏で白鳳時代の作とされる。額田王の念持仏であったとか、もとは粟原寺(おばらでら)にあったとか、の説もある。
三尊像の石版は高さ1.15m、幅1.5mの硬砂岩で、整ったおむすび形をしている。中尊の如来は高さ63cm、左右の脇侍菩薩は58cm、いずれも彫りが厚く力強いが、柔らかい曲線で細部までリアルに表現されている。唇や法衣の一部に彩色が残っている。白鳳仏は硬い表情の仏が多いように思われるが、この三尊の優しい微笑をたたえた姿は、穏やかで包み込まれるような感じがする。案内していただいた役員さんのお勧めにより、収蔵庫の扉を閉め外光が入らないようにして拝観すると、彫りの凹凸や残った色彩が際立って一層美しく見えた。

石位寺三尊石仏の写真
庫裏での森本区長のお話

忍阪区は、桜井市の南東部にある集落で、神武東征のおり大和平定の重要拠点として古事記・日本書紀に記されている。森本区長は「記紀に登場するほど歴史があり、狭い地域に歴史文化遺産が集中している場所は他にはない。」として、地元住民とともに先駆的な情報発信や保存活動を行っている。
奈良県と共同で「まちづくりマップ 記紀・万葉故地 忍阪」を作成したり、地区の有志が「TEAM忍阪」の名前で開設したホームページ「忍阪の風」(http://team-ossaka.jimdo.com/)ではホットなニュースを提供したりしている。市ではなく区としてのホームページ開設は珍しい。
地区では日頃から草刈や清掃などの共同作業をはじめ様々な地域活動が行われているとのことで、そういう日常からの一体感をベースに、行政など外部の力も活用しながら、骨身を惜しまず地元のために働く熱いリーダー達を得て今の姿があるのではと感じられた。お土産に全員「忍阪」のDVDまで頂戴した。
石位寺から忍坂集落を抜け、近鉄朝倉台駅へ徒歩で向かったが、森本区長みずから同行、途中にある「玉津島明神」や「忍阪座生根(おっさかにいますいくね)神社」を案内していただいた。
今回訪問しなかったが、忍阪には舒明天皇押坂内陵(わが国初の八角墳)や鏡女王押坂墓(藤原鎌足の正室)、大伴皇女押坂内墓(欽明天皇皇女)もある。
11月10日(日)に「忍坂街道まつり」が開かれる。平城京朱雀門・大極殿を復元した忍阪出身で宮大工の伝道師・瀧川昭雄氏(瀧川寺社建築会長)の特別講演会や石位寺で聴くお琴と万葉歌のミニライブが催される。
「おっさか」の表記について「忍坂」か「忍阪」か迷うが、行政区や自治会では「阪」、バス停や街道名は「坂」のようだ。

忍坂街道まつりのチラシ

(大野寺磨崖仏・宇陀市室生振興センター)
近鉄大和朝倉駅から3駅先の室生口大野駅へ移動、大野寺(おおのじ)の弥勒磨崖仏を拝観。磨崖仏は宇陀川の渓流を隔てた対岸の岩肌に彫られており、鎌倉時代初期の作とされる。高さ30mを超す大岸壁に、高さ11.5mの弥勒仏立像を線刻している。開眼供養には後鳥羽上皇の御幸もあったという。
大野寺内は拝観せず、宇陀市室生振興センターへ。当センターは旧室生村役場で休庁日だったが、事前にお願いして無料で入れてもらい、各自持参の弁当で昼食。役場のカウンターの前にセットされた会議机での昼食はちょっと貴重な体験であった。

大野寺の弥勒磨崖仏
室生振興センターでの昼食

(海神社)
昼食後、徒歩移動。海神社(かいじんじゃ)」(宇陀市室生大野)を拝観。「海神社」は、(通称)なるみの宮といい祭神は豊玉姫命である。当社は言い伝えでは、室町時代の応永三年(1396)に室生龍穴神社から善女竜王を勧請したという。ところが、明治の神仏分離により海神の姫である豊玉姫命を祭神とし社号も海神社と改称したという。
県内には、宇陀市室生三本松と吉野郡下市町立石にも海神社がある。三本松の祭神は同じ豊玉姫命、下市町の祭神は八大龍王と石神である。五條市西吉野町夜中には、海津(かいづ)神社もある。
海のない奈良県に何故海の神社があるのか、何故海神の姫を祀るのかは謎である。旧室生村ホームページの記事を紹介しておこう。
「海のない室生村に海神社……これは海の神様を祭神として祭ることで、豊かな海・川・山、そして五穀豊穣を願って、この名が付けられたそうです。遙か昔から、『生命そして豊かな幸は全て海から生まれてきたものだ』という信仰があったのでしょう。大野駅東南にある海神社本殿は県指定文化財になっており、毎年秋には雨乞いも意味する『いさめ踊り』が行われ、また三本松、道の駅近くの海神社はこじんまりしていて道向かいに「山神様」の小さな石碑があります。」
当社で注目すべきは本殿建物で、江戸時代前期造営の三間社流造千鳥破風付である。もともと一間社春日造の二棟であったものを相の間で連結し、のちに流造の屋根で千鳥破風付に改造した形となっており、神社建築史上重要な遺構とされている。(奈良県指定文化財)境内には、本殿、拝殿のほかに、長拝殿、舞殿、社務所と立派な建物が揃っており、地元の崇敬を集めている。

海神社の参道
海神社の本殿

(安産寺)
近鉄室生口大野駅に戻り三本松駅で下車。子安地蔵菩薩を祀る「安産寺」(宇陀市室生三本松中村)を目指す。
安産寺は石位寺と同じく無宗派、無住の寺で、三本松中村区(58戸)の集会所を兼ね、中村自治会が管理している。正式には安産寺重要文化財保護委員会が管理しており、専任保護委員が拝観・御祈祷の連絡窓口となっている。法事の時は、同じ三本松にある融通念仏宗・頓光寺にお願いするとのこと。当日は専任保護委員の鎌田慧(さとる)さんに案内いただき、地区の皆さんからお茶のご接待を受けた。
地蔵菩薩像には言い伝えがある。昔豪雨で宇陀川が増水した時、上流から流されて対岸にある海神社脇に流れ着いたので、村人達は驚きあわててお救いした。余りにも優しく美しいお姿にみとれつつ、安置する場所を求めて集落へとお運びしてきたが、にわかに足が進まなくなり『ああシンド』と腰を下ろしたら、仏像も動かなくなった。そこで村人達はこの場所に祀れというお告げと悟り、そこにお堂を構えて安置したのが始まりという。
その後は地蔵堂に安置され、安産、子授けにご利益がある「子安地蔵」として信仰を集めてきたが、建物老朽化に伴い、廃寺となった正福寺と統合して明治37年本堂を新築し、安産寺と改称した。本尊は重要文化財なので奥の収蔵庫に安置されている。
高さ177.5cm、カヤの一木造、着衣の赤や截金手法、弧線状に流れる美しい翻波衣文など、平安前期特に室生寺本尊釈迦如来に様式が似ている。室生寺金堂本尊の向かって右側に安置されている地蔵菩薩像の板光背は像に比べて不似合いな位大きいが、安産寺地蔵菩薩像にはぴったり一致することが確認されており、金堂本尊の脇侍として十一面観音と一対であったと考えられている。
拝観・御祈祷の場合は事前の連絡が必要だが、毎月9日の午前中は開扉されている。菩薩像が流れ着いた9月9日にちなんでいるとのこと。

安産寺のパンフレット
参加者全員で記念撮影

桜井市忍阪区の石位寺伝薬師三尊像、宇陀市室生三本松中村の子安地蔵菩薩像は、いずれも重要文化財で、国県市の援助を得ながらも、地区住民が中心になって昔から守り信仰してきた仏様である。
保存継承グループでは、県内の有形・無形文化財、特に地域で守られてきた文化財の保存継承を目指して活動している。具体的には、まず現在有形・無形文化財を保存継承している人達との交流を通じて現状を把握し、保存継承についての課題を発見・整理し、解決していくための触媒の役割を果たそうとしている。
今回の2地区では、いずれも地域住民の結束が固く、長年にわたり信仰し保存継承して来られた好事例を教えていただき、今後の活動にとって大いに参考となった。

文・写真 保存継承G 石田一雄