勉強会「会津八一と奈良」第2回目

日時:11月19日18時30分~20時
場所:西大寺南都銀行銀行クラブ
出席人数21人
講師:奈良大学名誉教授浅田隆先生

大和の風景を読み解く

冒頭、奈良大学の情報誌を配布し、奈良大学展望台から見る奈良の景観を説明いただいた。なるほど、奈良大学からの景観は素晴らしい。緩やかな山の稜線がつらなり、奈良を楽しむ絶景ポイントである。是非、訪問したいものだ。
一番新しい会津八一の歌碑⑲
いかるがの さとのおとめは よもすがら
きぬはたおれり あきちかみかも
この歌は、斑鳩で8月終わりから機織りの音を聞いて秋の訪れを感じる歌である。今でいうと町工場の音か。庶民の生活の音を歌の世界にいざなう会津八一の面目躍如たる素晴らしい歌である。
かように、会津八一は平明で飾らない万葉調を良しとした人である。万葉調に対するのは古今調。より精緻な技巧を重んじた歌風である。題材とするテーマも古今調は、華やかな宮廷文化にまつわるものが多い。比べて万葉集は、一般の生活からハートフルな歌が多いのが特徴である。古今調は技巧過多で、掛詞、本歌とり、枕詞、色言葉など宮廷歌人がサロンで歌の技術を競い合って作られた歌である。また、二条家系統が秘伝として権威づけも行った。とにかく、こねくりまわす。明治までは、これが主流。会津八一はこれに対して万葉調を強く支持した。平明で飾らないとはいっても、その平明さの裏に物凄い技術を駆使してあるのが会津八一である。

<古代ギリシャと会津八一と奈良>
会津八一は小泉八雲の影響もあり古代ギリシャへの憧憬を持った人である。大正9年ギリシャ学会設立して以降、毎年奈良を訪れるうちに大正12年ギリシャ学会を解消し、奈良美術研究会設立した。写真家の小川晴暘(後の飛鳥園)と親しくなり奈良美術の写真集も発刊している。(大正13年室生寺大観)今までの正面写真ではなく、会津八一が教える革新的なアングルで仏像をとらえた写真集も発刊。今で言うとアートデレクターである。漆黒の背景に部分的なライティングや光を当てる方向で影を生み出す斬新な写真であったといわれている。このあと、昭和6年 早稲田大学教授として東洋美術史を担当している。

<南京新昌>
南京新昌は真っ赤な表紙で発刊された。なんと最初から第3版と記してあった。これは無名の歌人の歌集など誰も買うはずもなく、無名歌人の戦略として確信犯として行ったようだ。さすがに粋筋で育っただけある会津八一の茶目っ気を伝えるエピソードであるといわれている。しかし、本人は意外と真剣に奥付の第3版という表示を指示したのかも知れない。
<奈良への傾斜>
ギリシャへの憧れは、19世紀文明の分業主義への否定につながり、これしかできないという専門家という存在に対しては当然否定的である。特定分野の専門家を拒否した八一は歌人とか特定分野の専門家とみなされることを拒否した。ヨーロッパではルネッサンスで文明のルーツとしてギリシャが復活。会津八一が影響をうけた小泉八雲がイギリス詩人キーツ傾倒。特に霧の都ロンドンからは地中海ブルーへの強く憧れたようだ。キーツのギリシャは会津八一にとっては奈良であった。その八一がギリシャはともかく一度も海外を訪問していないのが不思議でもある。

<学規>
浅田先生からそのほか色々なことを教えていただいたが、最後に一つ。
見どころのある学生に書き与えたのがこの学規である。
一、ふかくこの生を愛すべし
一、かへりみて己を知るべし
一、学芸を以て性を養うべし
一.日々新面目あるべし
学ぶものが持つべき姿勢を説いている。自分自身をよく知る。人間性を養うこと、真面目に日々新しい要素をとりいれること、学問は自分自身の修養であることなどを説いている。
次回最終回は12月12日。テーマは奈良県下の歌碑・会津八一の感性でみた奈良である。

岸 克行 記