『信貴山から三帝が登った「倭国高安城」探訪』感想記

3/14(土)実施・・・参加者29名

今回は、記紀万葉サークルと史跡等探訪サークルの合同主催。企画・案内をしてくださったのは記紀万葉Cの伊藤和雄さんです。
コースは、JR王寺駅~信貴山門~信貴山門駅跡~開運橋~朝護孫寺境内・本堂・空鉢堂~信貴山雄岳山頂~倭国高安城倉庫跡~中世高安城跡~西ケーブル高安山駅(平坦線高安山駅跡ホーム)~信貴山門(バス)~旧東ケーブル信貴山駅跡地直線ハイキング道~近鉄生駒線信貴山下駅で解散。

本日のコースを説明する伊藤さんと参加者〜JR王寺駅

3月14日、朝起きるとまさかの雨。今日は中止になるかも、と不安に思いながら集合場所のJR王寺駅へ向かうと、既に大勢の方々が集まっておられて一安心でした。10時17分のバスで出発し、終点の信貴山門バス停で降車。雨足の強まる中、伊藤さんご自身の説をまじえた興味深い信貴山解説を拝聴しました。マイクなしでもよく通る伊藤さんの声は迫力満点です!

雨の中の開運橋

大門池に架かる赤い橋。平群町と三郷町にまたがっています。現存最古例の「上路カンチレバー橋」、橋脚はトレッスル構造の貴重な橋で、国の登録有形文化財に選定されています。

絵馬堂で見たムカデの絵馬

朝護孫子寺境内は庶民信仰のメッカ。信貴山といえば「寅」が有名ですが、意外なところで「ムカデ」信仰があります。ムカデは毘沙門天のお使い。「おあし」がたくさんついて金運を呼ぶとの意味でも信仰されてきました。絵馬堂には珍しいムカデの絵馬が掲げられています。
寺内には千手院、成福院、玉蔵院の3つの塔頭寺院がありますが、成福院にあった小さな石室十三仏が印象的でした。県下最古の在銘十三仏だということです。
ここのお寺は今までに何度も訪れた事があるのですが、「かやの木稲荷」、百度石ならぬ「千度石」、「四国八十八ヶ所お砂踏み」など今回初めて見るものも多く興味深かったです。

朝護孫子寺本堂

本堂にあがりお参りです。ご本尊は毘沙門天。前立秘仏・中秘仏・奥秘仏が安置されます。堂内からは大般若祈祷の声が大きく響き渡っていました。本来なら素晴らしい眺望が楽しめるのですが、今日はこの悪天候により、辺り一面白く霞むだけです。

信貴山城跡で集合写真

空鉢護法堂へ続く九十九折りの急な石段をのぼっていきます。水屋の壁にかかっていた、空鉢堂へお水をお供えするためのたくさんのポット、そして石段沿いに建てられたおびただしい数の鳥居が信仰の深さを物語ります。息を切らしながら15分ほどで信貴山城跡に到着。木沢長政が築城、松永久秀が本拠とした県下最大規模の中世城郭です。ここで小休憩、集合写真を撮りました。
さらに5分ほどのぼり、11時45分、空鉢護法堂へ到着。ここが信貴山雄岳山頂(437m)になります。命連上人が龍王の教えを受け、空鉢を飛ばして倉を飛び上がらせ貪欲な山崎長者を諭して福徳を授けたという霊験譚に由来するそうです。説明板には「空鉢さまは毘沙門さまの守護 龍王(みーさん)にましまして・・・」とありました。一願成就の霊験あらたかな「みーさん」にしっかりお参りです。

倭国高安城関連倉庫址

信貴山頂からいったん下り、今度は高安山へ向けて登っていきます。まだ雨は一向にやむ気配がありません。皆さん傘をさしながらの歩行で、資料や地図を見たり、会話をしたりするのがなかなか大変です。ぬかるんだ道に気をつけながら進み12時30分、「高安城倉庫址」到着です。白村江の戦い敗戦後、国防のため大和朝廷が築城した古代山城「高安城」。記録では天智・天武・持統・元明4天皇が行幸しており、また壬申の乱の戦場にもなっています。昭和53年(1978年)、八尾市の市民グループ「高安城を探る会」が倉庫跡と思われる礎石を発見し高安城の遺構かと注目されましたが、調査の結果、大宝元年(701年)の廃城よりも後のものと判明しました。6棟ある倉庫跡のうち2号棟・3号棟の礎石を見学しましたが、まだ謎に包まれたままの幻の古代山城です。
高安山は古代高安城のみならず中世の高安城の跡でもあります。主郭部分である頂上へ向かいました。ここが実は本日最大の難所でした。急斜面に加え折からの雨で地面が滑る、滑る。木の幹や枝をつたいながら、そして何人もの方に引っ張っていただいてかろうじて上ることが出来ました。頂上(488m)には特に何か見所がある訳ではないのですが、貴重な体験になりました。

高安山駅ホーム跡

その後、高安山気象レーダーの前を通り(この裏手には3基の高安山古墳群があるのだそうです)、13時過ぎに高安山駅ホーム跡に到着しました。こちらの解説はやはりこの方、「鉄」(鉄道マニア)の小林誠一さんです。この場所には現在近鉄の西信貴ケーブル高安山駅がありますが、昔はここからさらに信貴山門まで「信貴山急行電鉄」(山上平坦線)が走っていたのだそうです。ケーブルでのぼった山の上を電車が走る。こんなロマンのある鉄道は世界でもスイスのラウターブルネン・ミューレン鉄道とここだけだったそうです。残念ながらこの鉄道は戦時中に不急不要鉄道とみなされ撤去されてしまい、今はその廃線跡をバスが運行しています。
ここでお昼休みにしました。食事中、やっと雨があがり急に日が差してきました。
食後は展望台にのぼり、皆さんで大阪平野一望の景色を楽しみました。あべのハルカスもしっかり確認。さっきまで雨の中を登山していたのが信じられないような青空が広がっていました。
「雨のち晴れ」。雨男として知られる史跡等探訪サークル小林俊夫リーダーさんと、晴れ男の記紀万葉サークル田中昌弘リーダーさん。両サークル合同イベントを象徴するようなお天気だったのかもしれません!?

雨も上がり本日の参加者〜展望台から降りてきてバス乗車前に集合写真〜

14時02分、山下平坦線の廃線跡を走る近鉄バスに乗り、信貴山門バス停まで戻りました。朝、王寺駅から乗ったバスが到着した場所と同じ。振り出しに戻ったような不思議な感覚で、「せっかく晴れたし、もう一回同じコースを行ってみる?」などと冗談を言いながら再度開運橋を渡りました。

開運橋より雨もすっかりあがった信貴大橋をのぞむ・下は大門池

開運橋を渡った後は朝とは逆方向へ。仁王門から外へ出て、千体地蔵を左手に見てしばらく進むと奈良交通バス信貴山停留所へ到着。ここは昭和58年(1983年)まで通っていた近鉄東信貴鋼索線(東信貴ケーブル)の信貴山駅舎でもありました。

旧東信貴ケーブル信貴山駅跡からケーブル跡直線ハイキング道を下る

東信貴ケーブルの廃線跡が遊歩道になっており、そこを下って行きます。ひたすら真っ直ぐ、そして同じような傾斜の下り道が続き、枕木も残っていました。ここがケーブルの跡地であったことが実感出来ます。ケーブルの現役時代を知っているという方もおられました。
そして予定通り15時に近鉄信貴山下駅に到着、解散となりました。こんなお天気でしたが、伊藤さんのパワフルな引率と皆さんの熱意で楽しい活動となりました。今までは信貴山を訪れても朝護孫子寺のお参りだけで帰っていましたが、この日は奥深い探索が出来ましたし、特に交通手段の変遷が非常に興味深かったです。皆さんの泥まみれの靴が相当の悪コンディションでのウォーキングを物語っていましたね。参加者の皆さん、本当におつかれさまでした。これから春本番。両サークルのウォーキング活動が楽しみです。

文 歴史探訪G 藤原 麻子    写真 同 小林 俊夫