記紀万葉サークル12月例会「天理教本部施設とその周辺を探訪」

12月10日(土)実施 参加者18名

【行程】近鉄天理駅→三島神社→山辺御県坐神社→天理教教祖墓地→記念建物→天理教教会本部→お茶所→峯塚古墳→西山古墳→塚穴山古墳→天理図書館→若江の家→天理参考館→天理本通り→近鉄天理駅(解散)

当日は肌寒いものの好天に恵まれ、絶好のウォーキング日和となりました。9時40分に近鉄天理駅前を出発し、先ずは天理駅前広場の東北隅で万葉歌碑を見学。「石上 布留の高橋 高々に 妹が待つらむ 夜そ更けにける」。天理市内に設置されている12か所の万葉歌碑の1つで、平成15年に建碑されました。
万葉歌碑を見学後、天理市内を北東へ向かい、ほどなく三島神社へ到着。三島神社は、三島町一帯の産土神社で、伊豆国一宮の三嶋大社や伊予国一宮の大三島の大山祇 [おおやまつみ] 神社と同系統です。祭神は大山祇命・布留御魂神・天児屋根命。本殿は流造で、亀が台座の石燈籠や日露戦争の戦利品の砲弾もあります。
三島神社を後にして、山辺御県坐神社へ。途中、山辺御県坐神社の西北に別所大塚古墳が望まれました。
山辺御県坐神社は、大和国の六御県(志貴・十市・高市・山辺・曾布・葛木)に置かれた御県坐神社の1社で、本殿背後に磐座があります。
山辺御県坐神社から東へ歩を少し進めると、天理教教祖墓地へ到着。墓地には、天皇陵並みの風格を備えた教祖の中山みきの墓をはじめとして、代々の真柱 [しんばしら] (教祖没後の天理教の統括者)や縁者・信者たちの墓が立ち並んでおります。この墓地は高台にあり、眼下の天理市内はもとより、周辺の山々も一望できて、遠くには葛城山や金剛山も望まれました。

真柱代々の墓所
教祖墓所

神殿内は、1,170畳の広々とした大空間の中心に甘露台と呼ばれる簡素な6角形の祭壇が置かれ、四方から礼拝ができるようになっておりました。記紀万葉サークルのメンバーも天理教の参拝方法に則り、1礼4拝1礼4拝1礼で参拝いたしました。神殿から回廊を教祖殿、祖霊殿へと進み、祖霊殿を過ぎた辺りから甘露台上の吹き抜け穴が見えました。

天理教本部教会前を行く

教会本部の見学を終えた頃にはお昼となり、お茶所と呼ばれる無料の湯茶接待所で昼食タイム。室内にあるお茶所は暖かくて、冷え切った身にはありがたい所でした。
昼食後は、石上神宮外苑公園の万葉歌碑の前を通って、峯塚古墳へと向かいました。猪防止柵の奥にあり、例会の下見時には見つけにくかったそうです。杣之内古墳群にある峯塚古墳は、古墳時代終末期の円墳で、石室は岩屋山式の横穴式石室です。石室の切石は岩屋山古墳ほど精緻ではないものの、玄室の西側壁の2段目は1枚岩となっておりました。なお、玄室内に石棺は見当たりませんでした。

峯塚古墳開口部

峯塚古墳見学後は、大和国14か所に置かれた山口神社の1つの都祁山口神社を参拝して、西山古墳へと向かいました。
日本最大の前方後方墳の西山古墳は、私としては前回の記紀万葉サークルの例会で訪れて以来です。今回は初冬に訪れたために、古墳を覆っている草も冬枯れていて、前回訪問時と異なった雰囲気を醸し出しておりました。墳丘に登りましたが、風が強くて寒く、早々に降りて、塚穴山古墳に向かいました。

西山古墳後方(円)部より西方を望む

塚穴山古墳は杣之内古墳群中の大型円墳で、全長17mの横穴式石室は石舞台古墳に次ぐ規模です。現在は墳丘と天井石を失って巨大な石室が露出しております。

塚穴山古墳の石室

塚穴山古墳からは東へと向かい、天理図書館を目指しました。この図書館は、曜日による休館日が無くて、一般に公開されております。一度ゆっくりと訪ねてみたいと思います。
図書館の次は、若江の家を訪ねました。ここは、天理大学の前身の天理外国語学校を創設した中山正善 [しょうぜん] の記念館。2代目真柱の正善が大阪で学んでいた頃に建てられた瀟洒な洋館で、大阪の若江岩田から移築されております。

天理図書館前にて

若江の家からは、本日最後の目的地の天理参考館へと向かいました。
天理参考館は、海外に渡り、天理教を広めようとする人々が、諸外国の生活習慣や歴史などの知識を深めるため、中山正善によって、昭和5年に創設されました。ここも久方ぶりの再訪で、またじっくりと見学してみたいところです。なお、今回は館内で簡単なクイズを実施しており、素敵なクリアファイルがお土産となりました。
天理参考館を後にして、天理本通りを解散場所の近鉄天理駅へと向かいました。予定の16時に無事到着。
案内役の小林淳一さん、前防道徳さん、どうもありがとうございました。お陰様で、充実した初冬の一日を過ごすことができました。

大村隆清(記紀万葉サークル) 写真:田中昌弘(同)