保存継承グループ 奈良市:伝香寺の「地蔵会(着せ替え法要)」見学記

7月23日の地蔵盆には、全国各地で多くのお地蔵様が供養されますが、奈良市小川町の「やすらぎの道」沿いに建つ伝香寺では、お地蔵様の衣の着せ替え法要が行われます。
伝香寺は、770年頃に鑑真和上の弟子、思託律師によって創建された実円寺(律宗)が元になっています。
その後荒廃しましたが、1585年に筒井順慶の母、芳秀尼が、36歳で死んだ息子を悼み、筒井氏一族の菩提寺として再興しました。
通常は一般拝観出来ませんが、「散り椿」が見頃となる3月の日曜祝日と、3月12日特別開扉の日と、この7月23日のみ、拝観可能になります。

暑い最中の午後3時頃から、多くの参拝客が本堂内につめかけていました。
いつもは秘仏として地蔵堂の中に安置されている春日地蔵、またの名を「はだか地蔵尊」が、この日は、ご本尊のお釈迦さまに後ろから見守られながら、堂々と立っておられます。
このお地蔵様は、1228年に鎌倉仏師、善慶により造られたとされる像高97.3㌢の、木彫に彩色された裸像で、お坊さんのお話によると「明治時代の廃仏毀釈の時に興福寺から逃げてこられた」そうです。

5分前に鐘が鳴らされ、4時ちょうどに4人の僧侶が入堂されました。
そのうち2人は興福寺の僧侶で、なんとドイツ系アメリカ人のイケメン僧がおられました。
伝香寺住職(唐招提寺長老)が、導師を務められます。

10分ほどの読経の後、まず後光(光背)が取り外されます。次に錫杖と、宝珠を持つ左手が取り外され、袈裟や着物が1枚ずつ丁寧に脱がされていきます。

お地蔵さんの衣装など着物1枚かと思っていましたが、とんでもない。腰巻、肌着、襦袢、袴、着物、袈裟と、人間の和装そのままです。
暑いお堂の中で大勢の人に注視されながら、手順を間違えないよう、美しいお姿になるよう、身動きできないお地蔵様の着せ替えをしていくのは、大変な作業でしょう。

とうとう腰巻1枚のお姿になってしまいました。
「細くてきれいな足…うらやましい…」とのつぶやきが聞こえてきました。
さすがに腰巻の取り替えは、僧侶の体で隠すように行われました。

肌着の上に、新しい真っ白な襦袢が着せられ、また1枚ずつ重ねられていきます。

錫杖、宝珠、後光が取り付けられて完成です。
約20分間で、淡い緑色の衣装から、鮮やかなオレンジ色の衣装に着せ替えられました。
短い読経の後、4時40分ぐらいに法要は終わりました。

前々回にお地蔵様が着られていた肌着を細かく切った一片が入っているというお守りです。
ちなみに、肌着以外は、クリーニングして再利用されるとのことです。

お守りを買うために、本堂内に行列ができていました。
この本堂は、1585年の再興時建立のものだそうです。ご本尊の釈迦如来も1585年の作で、京都方広寺の大仏(焼失)のモデルになったと言われています。

隣のいさかわ幼稚園では、盆踊りのために浴衣姿のかわいい園児たちが集まってきました。
いさかわ幼稚園の卒業アルバムには必ず着せ替え法要の模様が載せられるそうです。

境内は、筒井家の五輪塔や、筒井順慶法印像を安置する順慶堂、散り椿の木、廃寺となった眉間寺の油留木(ゆるぎ)地蔵など、いろんな伝承に彩られています。
これらの伝承が、後世にいつまでも伝えられていくことを願って、伝香寺を後にしました。

文・写真  保存継承グループ 大谷巳弥子