史跡探訪サークルは、史跡などを訪れて知識の研鑽を行い、参加者間の交流を図ることをグループの趣旨としています。史跡探訪するうえで、訪れる史跡を単体として見るだけでなくその史跡が他の史跡への影響や、日本史に占める位置などを探求して行くことを目的としています。

【2021年度を振り返って】

天平7年(735)天然痘が大流行した。翌年になると沈静化したと思われるが、日本書紀に遣新羅使や副使が平城京に入る前に没したと書かれている。天平8年に新羅は日本からの遣新羅使の受け入れを拒否している。これは一行が感染しているので拒否されたと見解がある。さらに天平9年(737)に藤原四兄弟天然痘で相次いでなくなっている。一連の状況から遣新羅使が新羅で感染し、疫病を日本に広めたとする見解が強くある。
この天平の感染症はおよそ4年で終息したと思われる。現在のコロナの感染も武漢の発生から今年で4年目になり終息する時期になってきたのではないかと期待しています。そこでコロナ禍が過ぎ去れば、以下の探訪をバージョンアップして再開したいと考えています。

【今後の予定】
  1. 奥飛鳥・・・律令国家形成前夜を探って見る。
    飛鳥稲渕宮跡・坂田寺跡・南淵請安墓、飛鳥川坐宇須多伎比賣命神社は律令国家前夜の中心の遺跡で、その後の藤原京や北魏様式の仏教伝来を考えると『周礼』が南淵請安をへて学んだと思われる。
  2. 談山神社から増上上人の念踊堀から飛鳥へ
    談山神社は鎌足の長子の僧定慧と不比等が協議し、摂津の阿威山から遺骸を多武峰に改葬したとされている。しかし「三代実録」の貞観五年(863)2月7条には多武峰の被葬者は鎌足でなく不比等であるとされる。これを探す。(次回阿武山古墳を訪ね昭和8年に発掘調査を探訪する予定。
    多武峰と興福寺は同じ藤原氏を祀っているのに、平安・鎌倉時代に十数回の争展開されている。その要因を増賀上人から探る。
  3. 摂津阿武山古墳と今城塚古墳と新池埴輪制作遺跡
    今城塚古墳の埴輪の天皇の送葬儀礼を探訪する。
  4. 湖北の十一面観音像から、泰澄修験僧から奈良時代の雑密と山岳修験道と仏教とを探る。
  5. 檜隈寺・キトラ古墳・子嶋寺から、西漢(かわちあや)と東漢(やまとのあや)を探る
  6. 延暦寺伽藍から、なぜ天台密教が鎌倉仏教を生み出したかを探る。

以上のように計画を立てています。コロナが開けたら全力で邁進いたしますので宜しくお付き合い願います。

連絡先 加藤宣男 ugi84038@nifty.com

【記紀万葉サークル】について

昨年12月まで例会を行いましたが、世話人の田中さまの、かねてからの建康不安と、県外への転居することとなり、「記紀万葉サークル」当面は休止する運びとなりました。
なおこのサークルの世話人に手を上げてくださる方が見えましたら、ご一報願います。