第6回奈良通1級「歴史」

平成24年(2012)1月8日実施

Ⅱ.奈良県の歴史に関することがらについて、最も適当なものを選びなさい。

(11)奈良時代に編まれた漢詩集『懐風藻』には、ある人物を指して、文武両道にすぐれ人々に慕われたが24歳で没した、と記している。それはだれか
長屋王
大津皇子
有間皇子
新田部親王
(12)奈良時代に東大寺の正門であった門はどれか
転害門
南大門
西大門
中御門
(13)聖武天皇の治世下に起こった出来事の順番として正しいのはどれか
難波宮遷都-長屋王の変-藤原四子の病死-藤原広嗣の乱
長屋王の変-藤原四子の病死-藤原広嗣の乱-難波宮遷都
藤原四子の病死-難波宮遷都-藤原広嗣の乱-長屋王の変
藤原広嗣の乱-長屋王の変-藤原四子の病死-難波宮遷都
(14)平安時代に東大寺と興福寺が争った際、東大寺の僧侶はある神社の神輿を担いで平安京へ上った。その神社の現在名はどれか
手向山八幡宮
春日大社
石上神宮
談山神社
(15)寛正6年(1465)、足利義政は春日若宮祭を見物した。また南都で権力を見せつける行動をとった。それはどれか
東大寺の別当を兼ねた
薪能のシテを務めた
春日山の神木を伐った
正倉院の蘭奢待を切った
(16)南北朝の合一の後、大和の国は筒井氏と越智氏の二大勢力が覇権を争った。両者の二十年に及ぶ争乱を何と呼ぶか
嘉吉の乱
治承・寿永の乱
承久の乱
大和永享の乱
(17)「元の木阿弥」という言葉は、大和を舞台としたある史実に基づいているといわれる。それはどれか
松永久秀が東大寺を焼討ちにした時、金の阿弥陀像と思って持ち出したが、一夜明けると木の阿弥陀像になっていた。
筒井順昭が亡くなった時、それを秘して木阿弥という者を替え玉に立てたが、替え玉が不要になり、木阿弥に戻った。
松永久秀に取り立てられて出世した大工の木阿弥が、久秀が敗死した後に元の大工に戻った。
豊臣秀長は郡山城の石垣造りを木阿弥に頼んだが、気が変わって他の者に依頼したがうまく行かず、結局は木阿弥にさせた。
(18)豊臣秀長は郡山城主となって郡山の商業を発展させる一方、寺社と結びつきの強いある町の商業を禁じた。それはどこか
今井町
奈良町
宇陀松山
五條新町
(19)慶応4年(1868)、大和国に置かれた行政組織はどれか
奈良府
五條県
堺県
大阪府
(20)明治8年(1875)に第一回奈良博覧会が開催された場所はどこか
興福寺
東大寺
春日大社
飛火野
(21)次の鉄道区間のうち、最も早く開通したのはどれか
奈良~上本町
奈良~王寺
桜井~初瀬
桃山御陵前~西大寺

   



 


 

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