第1回奈良通2級「歴史」

平成19年(2007)1月14日実施

Ⅱ.奈良県の歴史に関することがらについて、最も適当なものを選びなさい。

(12)聖徳太子について、誤っているのはどれか
十七条憲法を定めた。
父は舒明天皇である。
推古天皇は叔母である。
冠位十二階を定めた。
(13)二上山に葬られたとされる人物は誰か
舎人親王
草壁皇子
大津皇子
刑部親王
(14)元正天皇と聖武天皇の血縁関係はどれか
姉と弟
祖母と孫
母と子
伯母と甥
(15)聖武天皇の皇女である孝謙天皇が譲位後、再び皇位についた際の名はどれか
称徳天皇
孝徳天皇
皇極天皇
光仁天皇
(16)聖武天皇の后となった光明皇后の父は誰か
吉備真備
藤原仲麻呂
藤原不比等
橘諸兄
(17)神亀6年(729年)に謀反の疑いをかけられて自殺したのは誰か
春日王
長屋王
高市皇子
早良親王
(18)平安時代に即位した天皇の中で、奈良県内に陵墓が治定されているのは誰か
桓武天皇
平城天皇
嵯峨天皇
宇多天皇
(19)後醍醐天皇が京都を脱出して吉野山に入る前に、一時留まったとされる史跡はどれか
森野旧薬園
柳生陣屋跡
賀名生皇居跡
西行庵
(20)江戸時代初期に、宇陀市大宇陀区の地に成立した織田氏松山藩の初代藩主は誰か
織田信雄
織田長頼
織田有楽斎
織田信武
(21)かつて「大和の金は( )に七分」といわれるほど、繁盛した( )の町はどこか
奈良町
郡山
宇陀松山
今井
(22)柳沢氏は江戸時代中期から幕末まで郡山藩十五万石余を領したが、その初代藩主は誰か
柳沢里恭
柳沢信鴻
柳沢保申
柳沢吉里
(23)文久3年(1863年)の天誅組の変で、その天誅組が挙兵して代官所を襲ったのは現在の何市か
御所市
宇陀市
五條市
葛城市
(24)明治時代以降の奈良県について、誤っているのはどれか
奈良県は堺県に含まれた時期があった。
奈良県は大阪府に含まれた時期があった。
大和国内に五條県と呼ばれた県があった。
奈良県は大和県と呼ばれた時期があった。

   



 


 

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