山の辺の道の桜井市北端部から少し東へ歩いた山のふもとに鎮座しています。付近には、邪馬台国有力候補地の纒向(まきむく)遺跡や第10代から第12代の崇神、垂仁、景行3天皇の宮跡伝承地などがあり、この地域は古代ヤマト王権発祥の地といわれています。
社伝によると、穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社は崇神天皇の時代に、倭姫命(やまとひめのみこと)が天皇の御膳の守護神として奉斎(ほうさい)されたのに始まるとされます。現在の本殿は同神社を中央に、両隣に巻向坐若御魂(まきむくにいますわかみたま)神社と穴師大兵主(あなしだいひょうず)神社を祭っており、3社とも式内社(しきないしゃ)です。
かつては上社と下社があり、上社の穴師坐兵主神社は東側の弓槻嶽(ゆづきがたけ)(弓月が岳の表記も)にありましたが、室町中期の争乱で焼失したため、下社の穴師大兵主神社のあった現在の社地に移ったと言われています。また巻向山(まきむくやま)にあった巻向坐若御魂神社も合祀(ごうし)され、現在の祭祀(さいし)の形になったと考えられています。
摂社の相撲神社は、垂仁天皇の時代、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)により最初の天覧相撲が行われた場所とされることから、「相撲発祥の地」と伝わります。1962(昭和37)年に、当時の日本相撲協会役員や全幕内力士がこの地を訪れて顕彰大祭が行われ、大鵬、柏戸の両横綱の土俵入りが奉納されました。
(奈良まほろばソムリエの会会員 岡本喜一)
(住所)桜井市穴師493
(祭神)穴師坐兵主神社=兵主神、大兵主神、若御魂神
相撲神社=野見宿禰
(交通)JR巻向駅から徒歩約25分
(拝観)境内自由
(駐車場)あり
(電話)なし
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