聖徳太子は574(敏達3)年、現在の橘寺(たちばなでら)の場所にあった欽明(きんめい)天皇の橘宮(たちばなのみや)で生まれたとされます。橘寺の創建年は不明ですが、発掘調査で中門、塔、金堂、講堂が一列に並ぶ四天王寺式伽藍(がらん)配置とみられています。
講堂跡に建つ江戸末期の本堂は、太子殿と呼ばれます。本尊は室町期の木造聖徳太子坐像(重文)で、606(推古14)年に太子が橘宮で勝鬘経(しょうまんぎょう)を講義した像とされます。
太子は大臣(おおおみ)の蘇我馬子らと推古天皇を支えるため、住居の斑鳩宮と飛鳥にある役所の小墾田宮(おはりだのみや)を結ぶ筋違道(すじかいみち)を往来しました。愛馬の黒駒(くろこま)に乗り、従者の調使麻呂(ちょうしまろ)が同行したと伝わります。
太子殿前にあるのが黒駒の像です。1913(大正2)年設置の初代は、太平洋戦争時に金属供出。53(昭和28)年設置の2代目は、酸性雨による腐食で撤去されました。
現在の3代目の像は2001(平成13)年、全国の太子講関係者が奉納したもの。高さ1・3㍍の青銅製で、胴の左右には橘の花が浮き彫りにされています。
太子は622(推古30)年に斑鳩宮で亡くなり、今年は1400年遠忌に当たります。
【奈良まほろばソムリエの会 理事 久門たつお】
■宗派 天台宗
■住所 明日香村橘532
■電話 0744・54・2026
■交通 近鉄飛鳥駅から赤かめバス「川原」、または近鉄橿原神宮前駅から同バス「岡橋本」下車すぐ
■拝観 9~17時(受け付けは16時半まで)、350円
■駐車場 有(無料))
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