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源九郎稲荷 ―― 伝説に彩られた大和郡山の神社
 
 大和郡山市で有名なものが3つある。金魚と郡山城の桜、「稲荷(いなり)」だ。稲荷とは、同市洞泉(とうせん)寺町にある源九郎(げんくろう)稲荷神社のこと。日本3大稲荷の1つに数えられ、大和大納言・豊臣秀長が郡山城の鎮守として創建し、「大和の大和の源九郎さん、遊びましょ」と童謡にも歌われ、親しまれている。宇迦之御魂(うかのみたまの)神(保食(うけもちの)神)をお祭りし、保食(ほしょく)神社とも呼ばれる。
 源九郎とは、文楽・歌舞伎の「義経千本桜」に出てくる源九郎狐のことだ。
 この狐は静御前(しずかごぜん)が持つ初音(はつね)の鼓が両親の皮でできていたことから、それを慕って源義経の家臣・佐藤忠信に化けて義経と静に寄り添い、兄・頼朝に追われた2人を守り通す。途中で義経に狐であることを見破られるが、義経は親を慕う狐に同情し、また自分たちを狐の神通力で守り通してくれたことに感謝し、自分の名である「源九郎」をこの狐に与えた。


源九郎稲荷神社の祭礼「白狐渡御」

 最近では、義経千本桜の歌舞伎で「源九郎狐」の宙乗りを演じる4代目市川猿之助や6代目中村勘九郎が、安全祈願を兼ねて同社を参拝した。
 源九郎稲荷神社では、狛犬(こまいぬ)の代りに狐の像が置かれている。同社の狐は宝珠(ほうじゅ)と巻物をそれぞれくわえながら笑っているのが珍しい。「宝珠に触れば金持ちになり、巻物に触れば賢くなる」との言い伝えがある。
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 同社には数々の伝説が伝わる。その1つが「宝剣小狐(こぎつね)丸伝説」だ。長安寺村・菅田(すがた)明神の境内に住む小狐が、近くのふちで村人を苦しめている大蛇を源九郎狐の加勢を得て退治したところ、大蛇の尾から宝剣が見つかった。村人はこの宝剣を「小狐丸」と名づけ、天理の石上(いそのかみ)神宮へ奉納した。
 2つめが「元和(げんな)の鎮火伝説」。元和元(1615)年、豊臣方の大野治房による郡山城攻撃が行われた際、城下も焼け、その中心へと火が迫ってきたのを見た洞泉寺(とうせんじ)住職・天誉(てんよ)和尚が源九郎狐に祈願したところ、突然大雨が降り、大火を免れた。
 3つめが「綿帽子を買った狐伝説」。昔、現在の大和郡山市柳2丁目に帽子屋があった。冬の夜、1人の婦人が綿帽子を買いに来て、代金は源九郎稲荷神社で支払うといって立ち去った。後日神社に行くと、誰も心当たりがないという。押し問答をしていると、境内に綿帽子を被った3匹の子狐たちが現れた。
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 同社の祭礼は、毎年お城まつりの時期に行われる。今年は3月30日だ。昭和初年頃、「白狐渡御(びゃっことぎょ)」として市内を練り歩くようになった。戦時中の中断をへて、昭和53年に大和郡山青年会議所などが復活させた。


大和郡山市洞泉寺町にある源九郎稲荷神社
 祭礼当日には、午後から白衣に狐の面をかぶり尻尾をつけた少年少女約150人が白狐囃子に合わせて手拍子を打ちながら踊り歩き、市内の目抜き通りから城内に入る。
 少年少女は地元の小学3年生で、祭りが終わっても同社に参拝する。社務所には参拝カードが350人分置いてある。毎日学校帰りに寄る子もいて、10回、20回の区切りごとにくじが引け、景品が当たるのを楽しみにしている。毎日大勢の子供たちが遊びに来る神社とは、なんとすてきなことだろう。
 同社では数年前に宮司が亡くなってから宮司不在の状態が続き、今は氏子総代で洞泉寺町自治会長の中川圀昭(くにあき)さんらボランティアスタッフが維持している。
 洞泉寺町には、町名の由来となった「霞渓山(かけいざん)洞泉寺」や、旧川本邸など江戸時代から続いた遊郭跡の木造3階の建物が残る。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 石田一雄)
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