なら再発見
第68回へ                  第69回 2014年3月15日掲載                  第70回へ >
宇智の大野 ―― 金剛山麓に古代の狩猟地
 
 就寝前のひととき、故・犬養孝氏が朗唱する万葉歌のCDを聞いている。CDは独特な犬養節で、この歌から始まる。
「たまきはる宇智(うち)の大野に馬並(な)めて 朝踏ますらむその草深野(くさふかの)」(万葉集 巻1−4 中皇命(なかつすめらみこと))  万葉集に歌われた「大野」は人がめったに入らない原野のこと。「小野」は人里近くの野原をいう。
 「宇智の大野」は金剛山麓の丘陵地帯から吉野川へ広がる古代の狩猟地だった。詠み人の中皇命は、第34代舒明天皇の皇后か皇女と思われ、草深い山野に思いをはせ、天皇の遊猟の成功を祈る歌と解釈されている。
 繰り返し聴くと、朝露に濡(ぬ)れる原野に天皇とお供(とも)が馬を並べて狩りをする情景が目に浮かぶ。馬の嘶(いなな)き、蹄(ひづめ)の音、弓を射る音、逃げまどう鳥獣の鳴き声が耳元によみがえるようだ。
 武者小路実篤(さねあつ)の揮毫(きごう)による万葉歌碑が建つ荒坂峠が「宇智の大野」と呼ばれた原野の辺のようだ。どんな景観なのだろう。

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吉野川から望む金剛山

 JR和歌山線の無人駅、北宇智駅(五條市)で初めて降りた。律令制下の大和国宇智郡の地名が駅名に残る。
 それほど急勾配とは思えないが、平成19年までは電車は引き上げ線に入り、スイッチバックで駅のホームに停車していた。近畿ではスイッチバック構造の最後の駅だったという。旧駅舎と線路、その引き上げ線も残っている。万葉電車でスイッチバック停車を復活すれば、鉄道ファンも集まるに違いない。
 金剛山(1125メートル)を仰ぎ見ながら、荒坂峠へと向かう。古代の「宇智」は飛鳥京から西へ数キロ離れた原野だが、吉野川の水運とともに紀伊・河内へ通じる交通の要所となった。
 今、荒坂峠一帯は開発が進み、丘と谷を跨(また)いで和歌山へ通じる京奈和自動車道が走っている。


武者小路実篤揮毫の万葉歌碑=五條市
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 途中に猫塚古墳があった。一辺が約32メートル、高さ5メートルの5世紀の方墳だ。透かし彫りを施した金銅製蒙古鉢形眉庇付冑(まびさしつきかぶと)を出土した。蒙古冑(もうこかぶと)との類似性で名付けられた優品だ。鉄製鍛冶具・工具も出土し、被葬者は大陸の先端技術をもたらした渡来人の首長であろうか。古墳周辺の起伏のある森や畑地は「宇智の大野」のイメージを残す。
 標高約200メートルの荒坂峠周辺の道は、今では舗装されて一般の生活道路となっている。その下り道の横に、目当ての万葉歌碑がひっそりと建っていた。
 武者小路とは珍しい姓だが、系図をたどると奈良時代の藤原北家につながる家系だそうだ。談山(たんざん)神社(桜井市)の「藤原氏族一覧」を見ると、「ム行」に「武者小路」の姓が出ていた。
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 峠から市街地へ下り、吉野川へと歩くと「祝甲子園出場」の幕がはためいている。21日から選抜高等学校野球大会が始まる。県代表の智弁学園だ。
 「金剛の山青くして 吉野の流れ遠く行く」の校歌の一節は、古代人が見た風景と同じだろう。作曲は中高年には懐かしい演歌の大御所・古賀政男で、曲調は古賀作曲の青春歌謡「丘を越えて」風だ。
 春はまだ先だが、球春は近い。球児たちには、金剛おろしが吹く冬場のグランドで鍛えた練習の成果を大いに発揮して、「宇智の丘には わたる陽の」で始まる校歌を声高らかに歌ってほしい。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 田原敏明)
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