讃岐(さぬき)神社は、馬見古墳群で最大の前方後円墳である巣山古墳の南西近く、広陵町三吉(みつよし)に鎮座します。
創建年は不詳ですが、平安時代の神社一覧である「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載された式内社です。
古来この地は、広瀬郡散吉郷(さぬきごう)と呼ばれました。
竹林の多い散吉郷に、讃岐国(香川県)から竹細工を得意とする集団が移住し、朝廷に竹製品を献上していたといわれます。
平安時代前期に書かれ、日本最古の物語とされる『竹取物語』。その舞台となったのは、この讃岐神社の周辺とする見方が有力です。
物語で讃岐造(みやつこ)とも呼ばれた竹取の翁(おきな)が、竹の中にいた小さなかぐや姫と出会います。
美しく成長したかぐや姫に求婚するのが壬申の乱(672年)で活躍し、その後、朝廷で高官となった阿倍御主人(あべのみむらじ)、大伴御行(おおとものみゆき)ら藤原京時代の実在の5人。創作と現実の交錯したファンタジーで、後に紫式部も愛読したとされます。
祭神は『日本三代実録』の記述(883年)では、散吉大建命(おおたけるのみこと)などとされていました。現在は五穀豊穣の神とされる若蔵稲乃命(わかうかのみこと)、物語の讃岐造と同一とされる讃岐伊能城命(いのしろのみこと)など4柱です。
神社は、戦国時代この地を治めた箸尾氏が寄進した、海北友賢作の「三十六歌仙扁額(へんがく)」を所蔵しています。
(奈良まほろばソムリエの会会員 久門たつお)
(住所)広陵町三吉328
(祭神)若蔵稲乃命、若宇迦売命(わかうかのめのみこと)、讃岐伊能城命、大国主命
(交通)近鉄大和高田駅から竹取公園行きバス、「竹取公園東」下車、すぐ
(駐車場)有(無料)
(電話)0745・56・2249
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