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孝女伊麻のふるさと葛城 ―― 慈しみの心で児童見守る |
難波と大和を結ぶ古道の竹内街道と長尾街道は、二上山南東の近鉄南大阪線磐城(いわき)駅(葛城市)近くにある長尾神社前で交差する。
その昔、三輪山(桜井市)を三重に取り巻き、その尾が当地まで延びる大きなヘビがいたという。三輪明神が頭で、長尾神社はその尾にあたるとの伝説だ。
長尾街道を南へ数百メートル歩いた葛城市南今市に「孝女伊麻(こうじょいま)旧跡」がある。
ここが、地元の農夫の娘、孝女伊麻の誕生の地と伝えられ、「孝子(こうし)碑」と彫られた古い石碑が残る。伊麻の事績が忘れられないよう、天保11(1840)年の建立とある。
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石碑を見つめていると通行途中の女性が、近くの葛城市立磐城小学校に孝女伊麻像が建っていると教えてくれた。警備の人に声をかけ、校舎玄関横の孝女伊麻像を見つけた。昭和42年建立とある。
伊麻は寛永元(1624)年に農夫の子として生まれた。4歳年下の弟がいた。幼くして母を失い、2人の子連れの継母を迎えた。
13歳で伊麻は農家、弟は商家の丁稚奉公に。姉弟は一生懸命働き、両親に尽くしたが、継母は家を出てしまう。成人して弟は桶屋を開き結婚したが、伊麻は生涯独身で糸を紡(つむ)いで働き続けた。
大和で流行した疫痢で父が病にかかり、医者にも見放された。伊麻は父の回復を神仏に祈り続けた。ウナギの肝が病気に効くと聞き、姉弟は川を探したが見つからない。それでも伊麻は看病を続け、ウナギを探した。
ある夜、台所の水瓶から水が飛び出る音で目を覚ました。瓶の中を見ると、大きなウナギが入っていた。父に食べさせると、たちまち全快。残りのウナギを村人に分けて多くの命を救ったとされる。「伊麻の父を思う心が神仏に通じた」と誰もが伊麻に感謝した。
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子供たちにも親しまれている孝女伊麻像=葛城市立磐城小 |
この話を聞いた松尾芭蕉も、伊麻のもとを訪ねた。「今回の旅は伊麻に会ったことで充分だ」。芭蕉は友人に手紙を書いたという。伊麻は父が死ぬまで孝行を続け、晩年は仏門に入り、名を妙徳(みょうとく)と改め、81歳で亡くなった。
孝女伊麻は地元では「お伊麻さん」と親しまれている。2月27日の伊麻の命日には、徳をしのぶ法要が旧宅跡で行われる。
磐城小の児童も参列して拝礼する。明治22年創立以来の行事という。しかも磐城小の校章は、ウナギがいたという水瓶を図案化したものだ。校歌にも「不滅の孝女信じて行かん」の一節がある。
これからもお伊麻さんは、母親のような慈しみの心で、児童を見守り続けることだろう。
(奈良まほろばソムリエ友の会 田原敏明)
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