なら再発見
第13回へ                  第14回 2013年1月26日掲載                  第15回へ
広陵町の竹取公園 ―― 身近な「かぐや姫」に親しみ
 広陵町の「竹取公園」には、竹から生まれたばかりのかぐや姫を表現した巨大な像がある。単なるモニュメントだと思ったが、裏に回ると実はトイレだと分かった。
 「竹取物語」は、竹取の翁(おきな)が大切に育てたかぐや姫が、帝(みかど)や貴公子の求婚を断り、満月の夜に月に帰ってしまうという話だ。
 町内では、「はしお元気村」の屋根にかぐや姫像があるほか、あちこちで「かぐや姫のまち」の看板をみかける。
      


 竹取物語の舞台は本当に広陵町なのだろうか。地元出身の筆者も半信半疑だったので、その根拠を調べてみた。

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 竹取物語は、古くからあるかぐや姫伝説などを題材に、平安時代初期に日本最初の物語として書かれた。登場する求婚者や竹取の翁の名前から、広陵町も舞台と考えられている。
 物語に登場する5人の求婚者の名前は、壬申の乱で功績があった実在の人物とされ、当時都があった飛鳥か藤原京の周辺に住んでいたと思われる。
 求婚のために通ったのであれば、竹取の翁とかぐや姫の住んでいたところは、大和国のどこかだろう。
 物語の冒頭には、竹取の翁は「讃岐造(さぬきのみやつこ)」、つまり「讃岐村の村長」と書かれている。
 広陵町三吉(みつよし)には県内で唯一、讃岐の名がつけられた「讃岐神社」があり、江戸時代まで周辺は「散吉(さぬき)郷」とも呼ばれていた。
 「讃岐」や「散吉」が今の「三吉」になり、讃岐造をはじめとする讃岐の一族は、讃岐神社周辺に住み、ここを舞台に竹取物語が作られたと考えられる。

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竹取物語にちなみ、竹の外観にかぐや姫を描いたトイレも=広陵町の竹取公園




 実際、讃岐神社は真美ヶ丘ニュータウンから少し入った、竹取公園の近くの古風な集落の雰囲気が残る場所にあり、かぐや姫の時代の雰囲気を残している。
 時代はさかのぼるが、巣山(すやま)古墳や三吉石塚古墳、新木山(にきやま)古墳などがある馬見古墳群の中心地域でもあり、古代の歴史を感じさせる。
 奈良の近くでは、美しい竹林がある京都府の向日市や京田辺市も竹取物語の候補地だ。
筆者には物語の舞台は広陵町で間違いなさそうに思えるのだが、本当にかぐや姫のような魅力的な女性がいて、月に帰ってしまったのだろうか。
 物語のルーツを探しに広陵町に足を運び、ゆかりの讃岐神社や竹取公園などを巡り、古代ロマンを感じられてはいかがだろう。

(奈良まほろばソムリエ友の会 大山恵功)
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