なら再発見
第21回へ                  第22回 2013年3月30日掲載                  第23回へ >
東吉野村・宝蔵寺 ――志士偲ぶ 孤高の枝垂れ桜
 昭和30年代、ある鉄道会社のポスターに「桜の国の桜の名所」というキャッチコピーがあったが、奈良にはまさに桜の国の桜の名所が点在している。
 山や野辺には長い歴史を耐えてきた「孤高の桜」もある。宇陀市の又兵衛(またべえ)桜はよく知られているし、山添村の大照寺(だいしょうじ)跡の桜、桜井市の瀧蔵(たきくら)神社の権現(ごんげん)桜も人気がある。
 東吉野村の宝蔵寺にある、村の天然記念物に指定されている枝垂(しだ)れ桜も孤高の桜だ。高さ約10メートル、幹回り3.6メートルと実に立派で、毎年4月中旬に満開となり、静かな山村に一瞬の華やかさを添える。
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 国道166号で、同村鷲家(わしか)から三重・松阪方向に木津トンネルを抜けると、途端に周囲の風景が変わる。
 正面に「大和のマッターホルン」の異名を持つ高見山の鋭鋒(えいほう)が目に飛び込んでくる。真冬に真っ白に輝く姿を見れば、思わず歓声を上げるだろう。
 宝蔵寺はこの街道沿いにある。桜のシーズン以外は訪れる人も多くなく、静かな寺だ。以前、4月中ごろに訪れた際は、見事な枝垂れ桜がちょうど満開だった。
 イトサクラとも呼ばれ、枝張りは四方それぞれ10メートルある。淡紅色の花が空を覆わんばかりに咲き誇る姿は、圧巻だ。残念なことに、幹には空洞があり、傷みが激しく、樹幹が傾いているのが痛々しい。
 奥にもう一本、若い桜がある。どうやら2代目で、親桜から接ぎ木をしたものを育てたとの説明もある。少し小ぶりではあるが、親桜同様、見事に咲いている。
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 境内を歩くと、本堂の裏の墓地に天誅組(てんちゅうぐみ)の志士、池田謙次郎の墓石がある。墓石の裏には、「吉野郡谷尻(たんじり)で文久3年旧9月25日戦死 東吉野村天誅組顕彰会建之」とある。
      
「孤高の桜」と呼ぶにふさわしい宝蔵寺の枝垂れ桜=東吉野村(平成23年4月撮影)

 東吉野村といえば天誅組終焉(しゅうえん)の地。明治維新の先駆けとなり、尊王攘夷(そんのうじょうい)派の志士として倒幕運動に決起した天誅組は、不運にも京都で起こった政変により排斥され、挙兵の大義名分を失う。
 その後、幕府の追討軍を相手に各地で奮戦を続けたが、この地で力尽きた。その義士の一人が謙次郎で、墓所が境内にある。
 謙次郎は近江信楽谷郷士。軍資金を預かる役割だったが、同村谷尻で紛失に気づき、責任を負って自刃した。22歳だった。
 周辺には多くの義士の墓や菩提(ぼだい)寺があり、村人たちの温かい手によって義士たちの供養が続けられている。宝蔵寺も天誅組の菩提寺のひとつ。今年は天誅組決起から150年の節目にあたる。
 国を憂い散って行った義士たちを偲(しの)ぶとき、満開の桜が志士たちを慰めているように思える。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会理事長 小北 博孝)
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