第2回奈良通1級「歴史」

平成20年(2008)1月13日実施

Ⅱ.奈良県の歴史に関することがらについて、最も適当なものを選びなさい。

(10)日本各地との交流を示す出土品をはじめ、掘立柱建物跡、導水施設等から、大和政権成立期の宮跡の可能性が高いとされる三輪山北西の遺跡は次のどれか
大福遺跡
纏向遺跡
上之宮遺跡
脇本遺跡
(11)2005年に5世紀前半の四面庇付き大型掘立柱建物跡が見つかり、区画する濠の斜面に葺石が見られ、渡り堤も設けられていた、御所市内の遺跡は次のどれか
六条山遺跡
鴨都波遺跡
極楽寺ヒビキ遺跡
東中谷遺跡
(12)発掘の結果、百済大寺と推定されている吉備池廃寺は、およそどのあたりにあるか
甘樫丘の南方
畝傍山の南西方
天香久山の北東方
耳成山の北方
(13)2007年に明日香村の石神遺跡で確認された幅約18mの古代の道路遺構は次のどれと推定されているか
山田道
下ツ道
横大路
上ツ道
(14)現在は於美阿志神社境内となっている檜隈寺跡は、飛鳥時代に活躍したある氏族の氏寺とみられている。その氏族はどれか
巨勢氏
鞍作氏
西文氏
東漢氏
(15)大掛かりな石垣築造など土木工事を行い、『日本書紀』に「時の人の謗りて曰はく、狂心の渠。功夫を損し費やすこと、三万余。」と書かれているのは誰か
天智天皇
斉明天皇
崇峻天皇
蘇我馬子
(16)天武天皇の死後、謀反の嫌疑を受けて不遇の死を遂げた大津皇子の実姉で、伊勢斎宮であったのは誰か
十市皇女
但馬皇女
大伯皇女
大田皇女
(17)奈良時代の天皇は元明天皇にはじまり、桓武天皇で終わる。その間に即位した天皇の順番で正しいのはどれか
元正-称徳-聖武-孝謙-淳仁-光仁
元正-淳仁-称徳-聖武-孝謙-光仁
元正-聖武-孝謙-淳仁-称徳-光仁
元正-孝謙-淳仁-称徳-聖武-光仁
(18)次の高僧のうち、銘文のある骨蔵器の断片が出土して、その墓所が判明しているのは誰か
義淵
行基
良弁
道昭
(19)藤原四兄弟の死後、政権を執った橘諸兄と光明皇后の関係はどれか
伯父と姪
叔母と甥
異父姉弟
異父兄妹
(20)玄昉の首塚との伝えもある頭塔は、土を盛り表面を石で覆い石仏を配した仏塔である。この仏塔は、東大寺二月堂の修二会を創始した人物によって造営されたという。この人物とは誰か
義淵
定慧
実忠
空海
(21)光仁天皇を呪詛したとして廃后となった井上内親王とともに、宇智(五條市)に幽閉され急死した親王は誰か
山部親王
他戸親王
早良親王
安積親王
(22)興福寺一乗院門跡の覚慶が還俗し、のちに名乗った名はどれか
足利義昭
足利義視
一条兼良
大友義鎮
(23)「元の木阿弥」という語は、奈良県である出来事に由来すると一般に伝えられているが、それは次のどれか
松永久秀が東大寺を焼いた時、金の阿弥陀様だと思って大事に持ち出した像が、一夜明けると木造の阿弥陀様に戻っていた。
筒井順昭が亡くなった時、それを秘して木阿弥という者を替え玉に仕立てたが、やがて替え玉が不要になり、木阿弥に戻った。
松永久秀に取り立てられて出世した大工の木阿弥が、信貴山城での久秀の敗死とともにもとの大工に戻った。
豊臣秀長は、郡山城の石垣造りを木阿弥に命じようとしたが気が変わり、他の者に依頼したがうまくいかず、結局は木阿弥に頼むことになった。
(24)豊臣秀長の死去を受けて、郡山城の城主となったのは誰か
豊臣秀保
筒井定次
増田長盛
松平忠明
(25)郡山藩本多家に起こった郡山騒動が九・六騒動といわれるのはなぜか
寛文11年(1671)9月6日に騒動の発端が起こったため。
藩政を動かす家老15人が9人対6人に分かれて争い、混乱を極めたため。
幕府の決済で嫡流政長に9万石、前藩主の実子政利に6万石を相続させたため。
家督を争った嫡流政長と、前藩主の実子政利がともに年少で、9歳と6歳であったため。
(26)江戸時代には、大和川水運が盛んであった。亀ノ瀬から下流の大坂側の船は、剣先船と呼ばれたが、上流の大和側の船は何と呼ばれたのか
高瀬舟
菱垣船
北前船
魚梁船
(27)天誅組がその旗挙げに五條代官所で斬った代官の名はどれか
藤本鉄石
鈴木源内
丸田監物
松本奎堂
(28)幕末、北浦定政が平城宮跡の研究を進め、明治期に奈良県技師関野貞が大極殿跡を学問的に実証、平城宮跡の本格的な研究が進展した。次のうち、この宮跡の保存顕彰に奔走し、朱雀門南に銅像が立てられている人物は誰か
川路聖謨
恒岡直史
喜田貞吉
棚田嘉十郎
(29)生駒山の宝山寺に向かうケーブルの開業は、大正7年(1918)と古い。これは営業用のケーブル(鋼索線)としては、日本で何番目の開業か
1番目
4番目
6番目
10番目
(30)明日香村にあるキトラ古墳で、玄武の壁画がファイバースコープでモニターに映し出されたのはいつか
昭和58年
平成2年
平成8年
平成14年

   



 


 

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