第4回奈良通1級「歴史」

平成22年(2010)1月10日実施

Ⅱ.奈良県の歴史に関することがらについて、最も適当なものを選びなさい。

(9)~(13)次の文章の( )に入る適当なものはどれか。
大化元年(645)、蘇我氏を倒した中大兄皇子と中臣鎌足らは中大兄皇子の(9)にあたる孝徳天皇を擁立し、新政府は飛鳥を出て(10)に都を遷した。8年後、中大兄皇子らは孝徳天皇を新京に残して飛鳥へ戻った。孝徳天皇のあとを継いで即位した(11)天皇は、対外的に唐や(12)との対立問題を抱える一方、「狂心の(13)」を造るなど、民衆の不満を誘う土木事業を行った。
(9)中大兄皇子の(9)にあたる孝徳天皇を擁立し

従兄
叔父
(10)新政府は飛鳥を出て(10)に都を遷した
大津
長岡
難波
山城
(11)孝徳天皇のあとを継いで即位した(11)天皇
斉明
舒明
天武
持統
(12)対外的に唐や(12)との対立問題を抱える一方
百済
高句麗
新羅
渤海
(13)「狂心の(13)」を造るなど、民衆の不満を誘う土木事業を行った



(14)飛鳥時代に建立された寺院のうち、法灯を継ぐ寺院が平城京内に建立されなかったものはどれか
川原寺
大官大寺
薬師寺
法興寺
(15)談山神社が所蔵する「大和国粟原寺三重塔伏鉢」には、ある皇子の菩提を弔うためにこの寺が建立されたと刻まれている。その皇子は誰か
有間皇子
草壁皇子
高市皇子
弓削皇子
(16)藤原京から平城京への遷都は、文武天皇と元明天皇の2代にわたって計画され実行された事業であった。この二人の関係はどれか
叔父と姪
弟と姉
父と娘
息子と母
(17)奈良時代に編まれた漢詩集『懐風藻』には、ある人物のことを指して、文武両道にすぐれ、人々に慕われたが、24歳で没したと記している。それは誰か
大津皇子
長屋王
穂積親王
刑部親王
(18)奈良時代後期の政治情勢についての記述のうち、正しいものはどれか
藤原仲麻呂の死後、淳仁天皇は隠岐に流された。
孝謙上皇が道鏡を重用し、反対する藤原仲麻呂が乱を起こした。
称徳天皇は平城宮の北西に秋篠寺を建立した。
天智天皇系の光仁天皇は幼くして皇位についた。
(19)平安時代の初頭に平城京への還都をめぐって起こった事件はどれか
藤原広嗣の乱
長屋王の変
橘奈良麻呂の乱
薬子の変
(20)平安時代に「南京三会」と称された仏教行事は、「薬師寺の最勝会」、「宮中の御斎会」と、もう一つはどれか
興福寺の維摩会
東大寺の修二会
當麻寺の練供養会式
室生寺の曝涼祭
(21)内山永久寺についての記述のうち、正しいものはどれか
松永久秀の軍勢に焼かれ、廃寺となって今にいたる。
行基が、仏教が永久に栄えることを祈念して建立した。
源義経が吉野へ逃げる途中に身を潜めたことで名高い。
永久年間(1113~1118年)に建てられたのでこの名がつけられた。
(22)南北朝の合一後、大和の国は筒井氏と越智氏の二大勢力が覇権を争った。彼らの十余年にわたる抗争を何と呼ぶか
嘉吉の乱
治承・寿永の乱
承久の乱
大和永享の乱
(23)興福寺一乗院門跡の覚慶が還俗し、のちに名乗った名はどれか
足利義昭
足利義視
一条兼良
大友義鎮
(24)近代の吉野町についての記述のうち、誤りはどれか
明治時代の神仏分離で金峯山の修験道寺院は一旦、廃された。
吉野ロープウェイは国内で現役最古のロープウェイである。
宮滝遺跡の発掘調査は第二次世界大戦後に始まった。
吉野神宮と改称したのは大正時代のことである。
(25)旧柳生藩家老屋敷を所有し、そこで小説『春の坂道』の構想を練った作家は誰か
井上靖
五味康祐
司馬遼太郎
山岡荘八

   



 


 

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