第4回奈良通2級「歴史」

平成22年(2010)1月10日実施

Ⅱ.奈良県の歴史に関連することがらについて、最も適当なものを選びなさい。

(10)明日香村にある石舞台古墳の被葬者といわれる飛鳥時代の権力者は誰か
阿倍倉梯麻呂
蘇我馬子
中臣鎌足
物部守屋
(11)壬申の乱ののち、大海人皇子(天武天皇)が即位した宮はどれか
磯城嶋金刺宮
難波宮
大津宮
飛鳥浄御原宮
(12)次の飛鳥・奈良時代の皇族のうち、天智天皇の子供でない人物は誰か
大友皇子
元明天皇
持統天皇
文武天皇
(13)『日本書紀』において「新益京」と表現された都はどれか
近江京
恭仁京
藤原京
平城京
(14)『日本書紀』による仏教公伝の年から数えて、ちょうど200年後の天平勝宝4年(752)に起こった仏教史上の大きな出来事はどれか
東大寺大仏の開眼
鑑真和上の入京
西大寺の創建
法隆寺の創建
(15)奈良時代、平城宮の北に設けられた宮苑はどれか
依水園
松林苑
吉城園
鹿苑
(16)平城京についての説明のうち、正しいのはどれか
平城京は日本で最初に碁盤の目のように区画された都市である。
平城京の西へ張り出した区画を「外京」と呼ぶ。
平城京朱雀大路の西を「右京」と呼ぶ。
平城京の朱雀門と羅城門とは1kmの距離をへだてている。
(17)8世紀の平城京に花開いた文化は「何文化」と呼ばれるか
白鳳文化
天平文化
弘仁・貞観文化
東山文化
(18)奈良時代、称徳天皇に重用され、法王となって権勢をふるった僧は誰か
玄昉
実忠
道鏡
良弁
(19)平城宮では官人をはじめ多くの人々が勤務していたが、その人数はおそよ何人であったと推定されているか
1,000人
1万人
5万人
10万人
(20)平安時代の治承4年(1180)に南都の寺院を焼き討ちした人物は誰か
平重衡
北条時宗
松永久秀
源頼朝
(21)平安時代末期に吉野山の奥に庵を結んだ有名な歌人は誰か
在原業平
喜撰法師
西行法師
藤原定家
(22)朝廷に要求を訴えるため、春日大社の神木を担ぎ出したのはどの寺の僧兵か
興福寺
東大寺
薬師寺
大安寺
(23)次にあげた宇陀松山城に関する記述のうち、誤っているのはどれか
織田信長の次男である信雄が藩主だったことがある。
城跡に近い松山西口関門は国の史跡に指定されている。
豊臣秀吉の弟である秀長が藩主だったことがある。
宇陀松山城は秋山城ともいい、山城である。
(24)江戸時代に商品流通で栄え、「大和の金は◯◯に七分」と称された町はどこか
今井
郡山
五条
下市
(25)明治13年(1880)に開設が許可されたときの奈良公園の範囲は、興福寺境内とどの池の範囲に限られていたか
あやめ池
大渕池
猿沢池
水上池

   



 


 

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