やまとの神さま
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第10回 2022年06月23日掲載
山頂に移転し、また下り  畝火山口神社(橿原市)


畝傍山の懐に抱かれた畝火山口神社の拝殿=橿原市大谷町で

 「お峯山(むねやま)」とも呼ばれている神社の創始は明らかではありませんが、806(大同元)年の「新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)」に名が初めて登場し、これ以前の創建とされます。平安時代の「延喜式神名帳(じんみょうちょう)」では式内大社に登載されました。
 江戸時代に刊行された「大和名所図会(ずえ)」には「昔山麓(さんろく)にあり、今山頂に移す」とあって、室町時代後期に畝傍山西側山麓から山頂に移されました。
 約400年たった1940(昭和15)年の皇紀2600年祭で、東麓の神武天皇陵を見下ろす場所は好ましくないと、再度、西麓に移されました。
 毎年7月28日の夏季大祭はデンデンデンソソと打つ太鼓の音から「でんそそ祭り」と呼ばれ、大淀町の吉野川から汲(く)んできたご神水が神前に供えられ、境内は浴衣姿の参詣者らで賑(にぎ)わいます。「夏痩(や)せする子には綿入れの着物を着せてお参りしたらご利益がある」などの言い伝えもあります。
 「日本書紀」によると、祭神の気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功(じんぐう)皇后)は、古代の朝鮮出兵の際、応神天皇を出産。このため「安産の守り神」とされ、戌(いぬ)の日に腹帯を求める人たちが訪れます。
 大阪の住吉大社から神官が2月と11月の年2回、神社を訪れ、畝傍山山頂で埴土(はにつち)を採取する「埴取り」神事も有名です。

(奈良まほろばソムリエの会会員 若林稔)

(住所)橿原市大谷町157の1
(祭神)気長足姫命、豊受比売命(とようけひめのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)
(交通)近鉄橿原神宮西口駅から徒歩約15分
(拝観)境内自由
(駐車場)有(17台)
(電話)0744・22・4960

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