奈良町の南に立つ崇道(すどう)天皇社は、桓武天皇の弟・早良(さわら)親王(崇道天皇)を祭る神社です。
781(天応元)年、桓武天皇の即位に伴い、早良親王が皇太子となりました。しかし、天皇は奈良の寺院勢力との関係を断ち切る目的などから、784(延暦3)年、長岡京に都を移しました。藤原種継はこの計画に力を尽くしましたが、反対勢力に暗殺されました。
早良親王がこの種継事件に加わったと思い込んだ天皇は、皇太子を解任し、乙訓寺(おとくにでら)に幽閉しました。親王は無実を訴えましたが許されず、絶食して命を絶ちました。
その後の近親者の病死や、たび重なる洪水、疫病を早良親王の祟(たた)りと信じた天皇は、崇道天皇の名を与えて、大切に祭るよう命じました。
桓武天皇の死後即位した平城(へいぜい)天皇は806(大同元)年、当地に崇道天皇を祭らせました。
さらに平城天皇は崇道天皇の霊を慰めるため、各地の国分寺の僧に、春と秋にお経を読むことを命じました。これが彼岸会の始まりとも言われています。
本殿は1623(元和9)年、春日大社の摂社・春日若宮社の式年造替に伴い、旧本殿が移されたもので、国の重要文化財に指定されています。
(奈良まほろばソムリエの会会員 塩崎ヒデミ)
(住所)奈良市西紀寺町40
(祭神)崇道天皇
(交通)JR・近鉄奈良駅からバス「紀寺町」下車すぐ
(拝観)午前7時〜午後4時半 月曜閉門
(駐車場)コインパーク
(電話)0742・23・3416
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