墨坂神社は伊勢本街道に近い宇陀川の右岸に鎮座しています。「墨坂」の地名は、神武東征の際に、八十梟帥(やそたける)軍が焃炭(おこしすみ)(山焼き)をして進攻を妨げた故事によっています。
「古事記」には崇神天皇の御代に国中に疫病が蔓延(まんえん)していた時、神人(じにん)が天皇に「赤盾八枚(たてはちひら)・赤矛八竿(ほこはちさお)を以て墨坂の神を祭り、黒盾八枚・黒矛八竿を以(もっ)て大坂の神を祭れ」と告げられました。お告げに従うと悪病がやみ、暮らしが平穏になったとあります。大和の東の入口の墨坂神社に対し、西の入口は大坂山口神社(香芝市)です。
ご祭神は墨坂大神といわれる六神で日本最古の健康の神さまです。神社では現在も例祭のおりに「赤盾八枚・赤矛八竿」を奉納しています。当初、社殿は伊勢本街道の西峠「天の森」付近にありましたが、1449(文安6)年に現在地に遷座しました。十一月の例祭では、元の社地から渡御(とぎょ)行列が現在の社殿に向かいます。
また長野県須坂市には科野国造(しなののくにのみやつこ)が当神社から分祀(ぶんし)した墨坂神社が二社あります。信濃にゆかりの建御名方命(たけみなかたのみこと)を合祀(ごうし)した神社で国人領主須田氏や武田信玄公、須坂藩主堀氏などの崇敬が篤(あつ)く、須坂の地名の元にもなっています。
(奈良まほろばソムリエの会会員 島田宗人)
(住所)宇陀市榛原萩原703
(祭神)天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かむむすびのかみ)、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、伊邪那美神(いざなみのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)
(交通)近鉄榛原駅から徒歩約10分
(拝観)境内自由
(駐車場)有、無料
(電話)0745・82・0114
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