北山宮(きたやまぐう)は、上北山村小橡(ことち)の大台ケ原を源流とする小橡川の左岸に鎮座します。旧県社で、吉野神宮(吉野町)の境外摂社でもあります。祭神の北山宮(きたやまのみや)は後亀山天皇の玄孫(げんそん)(孫の孫)とされ、自天王または尊秀王(たかひでおう)とも呼ばれます。後南朝の歴史を彩る人物として知られます。
室町時代の1392(元中9)年、南北朝合一のあと、自天王がこの地区の瀧川寺(りゅうせんじ)に三種の神器の一つ神璽(しんじ)(勾玉(まがたま))と共に住み、後南朝の復興を念願していました。神社の由緒書、「赤松記」などによると、自天王は1457(長禄元)年12月2日、赤松家再興を目指す残党によって殺害されました。地区の人たちは神璽とお首を奪い返し、ご遺体は瀧川寺に埋葬しました。
その後、自天王を慕う人たちが現在地に祠(ほこら)を造営して祭ったのが北山宮(きたやまぐう)の始まりとされます。
北山宮の鳥居をくぐると舞殿、その奥に拝殿、本殿が整然と配置されています。舞殿の扁額(へんがく)は旧名称の北山神社で、1956年、北山宮に改められました。2024年に改修された真新しい透かしの塀が境内をとり囲んでいます。
瀧川寺は北山宮の近くにあり、境内の北山宮墓(きたやまのみやぼ)は宮内庁の管理になっています。
(奈良まほろばソムリエの会会員 奥田八尋)
(所在地)上北山村小橡807
(祭神)北山宮(後亀山天皇玄孫)
(交通)近鉄吉野線・大和上市駅からゆうゆうバス河合下車。徒歩15分
(拝観)境内自由
(駐車場)有り。無料
(電話)07468・2・0124
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