やまとの神さま
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第131回 2025年08月21日掲載
戦勝守護 九頭明神祭る   天津石戸別神社(高取町)


盾のような石の板に囲まれたご神体=高取町の天津石戸別神社で


 天津石戸別(あまついわとわけ)神社は、貝吹山南西麓(ろく)にある越智(おち)氏居館跡の西に鎮まっています。古くは九頭(くず)神社と呼ばれていました。
「越智氏系図」には1185(元暦2)年、清和源氏(せいわげんじ)の流れをくむ越智氏の祖の親家(ちかいえ)が平家の滅亡後に、この地に凱旋(がいせん)したときに戦神として信仰していた九頭明神を戦勝守護神として祭ったと記されています。その際、親家が兜(かぶと)の八幡座(はちまんざ)と言われる中央部分に九頭銀龍(くずぎんりゅう)を安置し、九頭上(くずかみ)大明神として祭ったという説話も残されています。
 1583(天正11)年の越智氏滅亡までの約400年間、越智氏は祈とう所として守ってきました。その後、江戸時代の末まで九頭神社として里人に長く親しまれてきました。
 近代になり、1875(明治8)年に奈良県の指示により、「延喜式神名帳」にある天津石戸別神社に治定されて社名が変更されました。今では日本神話の天岩戸(あまのいわと)を開けて天照大神(あまてらすおおみかみ)を導き出し太陽の光を復活させた天手力男命(あめのたぢからおのみこと)がご祭神です。
 この神社には本殿がなく、拝殿・祝詞舎(のりとしゃ)の奥に石垣壇の上に盾のような石の板を立てて囲んだ珍しい玉垣の中央に御神体の榊が植えられ祭られています。本殿のない古い信仰形態の神社で、今も九頭竜(くずりゅう)明神としての信仰の形が残っています。
(奈良まほろばソムリエの会会員 森川祐美)


(住所)高取町越智85番地の1
(祭神)天手力男神
(交通)JR掖上駅より徒歩約20分
(拝観)境内自由
(駐車場)なし
(電話)なし
(例祭)10月第三日曜


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