645年、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)で中大兄皇子、中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒し、蘇我氏本宗家を滅ぼした「乙巳(いっし)の変」。その後、わが国初の元号(年号)として、広大無辺の徳化という意味を込めて、「大化」が定められたと伝わります。
翌年に改新の詔が発せられ、公地公民制などを柱とする「大化の改新」が進められます。
その後、「白雉(はくち)」「朱鳥(しゅちょう)」が元号とされますが、長くは用いられず、庚午(こうご)の670年に作成された日本初の全国的な戸籍を庚午年籍(ねんじゃく)と呼ぶなど、干支(かんし)が使われました。
701年に対馬から朝廷に金が献上され、「大宝」が定められました。現在まで1300年以上続く元号が、本格的に始まることとなった記念すべき元号です。
明治天皇、昭和天皇のように元号の名が天皇の名となる「一世一元(いっせいいちげん)の制」は、明治時代に定められました。
世界最初の元号は紀元前140年、中国の前漢時代、武帝(ぶてい)の「建元(けんげん)」です。中国や近隣諸国で使用されましたが、20世紀半ばで終焉(しゅうえん)。それ以降は日本でのみ使われ続け、1979(昭和54)年には元号法が制定されました。「令和」は「大化」から数えて248番目の元号です。
西暦と元号を使う和暦の共存は、面倒なところもありますが、どちらも使用する妙味は、日本ならではと言えそうです。
(奈良まほろばソムリエの会理事 久門たつお)
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