田原本二代領主・平野長勝(ながかつ)は幕府の命により陣屋を築きましたが、寺内町を形成していた教行寺(きょうぎょうじ)との間で支配権をめぐり争いが起きました。教行寺を大和郡山藩箸尾村(広陵町箸尾)へ退去させ、その跡地の北半分に平野家の菩提(ぼだい)寺・本誓寺(ほんせいじ)を、南半分に円成寺を建立し西本願寺に寄進しました。のち末寺72カ寺を有する西本願寺御坊に列せられ、1749(寛延2)年に寺号を浄照寺と改めました。
1877(明治10)年の天皇行幸のおり、浄照寺が昼食場所と決まりました。準備期間が短く湯殿や厠(かわや)の新築、家具の新調など宮内省役人の指示のもと、大変苦労された記録が残っています。
1890(同23)年には昭憲皇后(のち皇太后)の行啓があり、当寺で1泊されています。4月22日午後、橿原神宮、畝傍御陵参拝のあと到着。門前では県、郡、町役場関係者、小学校教職員・児童がお出迎え。夜は町内の女性5人が琴の演奏でもてなしたそうです。このとき宿泊所となった浄照寺御殿(対面所)は、現在も当時のまま保存されていて、予約すれば本堂、親鸞聖人大幅の御影(寺宝)とともに拝観できます。
【奈良まほろばソムリエの会 会員 日野益博】
■宗派 浄土真宗本願寺派
■住所 磯城郡田原本町茶町584
■電話 0744・32・2477
■交通 近鉄田原本駅から徒歩約5分
■拝観 8~17時境内自由、本堂拝観は要予約
■駐車場 有(無料)
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