芳徳寺は柳生宗矩(むねのり)が父、石舟斎宗厳(せきしゅうさいむねよし)の供養のために1638(寛永15)年に創建され、柳生家代々の菩提(ぼだい)寺となりました。明治維新による廃藩にともなう武士階級の崩壊で荒廃しましたが、昭和期に橋本定芳(はしもとじょうほう)住職のご尽力で再興されました。
織田信長の上洛(じょうらく)時、宗厳は松永久秀配下で働き、豊臣政権下で所領没収となり、剣術修行に没頭します。関ケ原の功で宗矩は旧領を回復し、徳川家の剣術指南役となり、その役目は十兵衛三厳(じゅうべえみつよし)に引き継がれました。柳生家で引き継がれる新陰流の極意は、人を殺すことではなく人を生かす「活人剣」でした。
2011(平成23)年の日刊スポーツ「最強の剣豪は誰?」の投票で、石舟斎は8位、宗矩が10位、十兵衛は4位と柳生家の親子3代はベストテン入りしています。トップは宮本武蔵で、2位は石舟斎に新陰流を伝授した上泉信綱(こういずみのぶつな)でした。柳生家の墓所の一角には信綱の墓塔も残されています。
剣聖の墓前に立つと、時代劇のヒーローに憧れて映画館をはしごした青春時代を懐かしく思い出します。最近は人気の漫画「鬼滅の刃(きめつのやいば)」の雰囲気を求めて、コスプレ愛好家の若者も訪れています。
【奈良まほろばソムリエの会 会員 田原敏明】
■宗教 臨済宗大徳寺派
■住所 奈良市柳生下町445
■電話 0742・94・0204
■交通 JR・近鉄奈良駅からバス「柳生」下車、徒歩約15分
■拝観 9~17時(4~10月)、9~16時(11~3月)、200円
■駐車場 無
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