なら再発見
< 第105回へ                  第106回 2015年01月10日掲載                  第107回へ >
小泉庚申堂 ―― 60日に一度 虫の告げ口防ぐ
 
 大和郡山市小泉町に大和を代表する庚申(こうしん)さんがある。正式名は尭然山金輪院(ぎょうねんざんこんりんいん)だが、小泉の庚申さん、小泉庚申堂として親しまれている。JR大和小泉駅から西北へ、富雄川を越えて徒歩で約10分の場所にある。門前に「一國一宇庚申」と刻まれた石標がある。大和国の庚申信仰の総道場という意味だ。
 当寺は江戸時代の初め2代目小泉藩主片桐貞昌(かたぎりさだまさ)(石州(せきしゅう))の時、家老で茶人の藤林宗源(ふじばやしそうげん)が創建し石州が8石を寄進した。その後富雄川の氾濫で流失したが、再建された。西門は小泉陣屋の遺構だ。

          ※   ※   ※

 庚申とは、暦、時間、方位などに使われる十干十二支(干支(かんし))の一つだ。庚申信仰は中国の道教思想に由来する。人間の体内には生まれ落ちたときから「三尸(さんし)の虫」が住んでいる。この虫は、上尸(じょうし)・中尸(ちゅうし)・下尸(げし)の3種類で、それぞれ頭、腹、足にいる。


小泉庚申堂

 この虫は60日に1度の庚申の日の夜、寝ている間に体から抜け出て天帝にその人の悪行を知らせて寿命を縮めるという。それで、その虫が天帝に告げ口しないよう、その夜は眠らずに身を慎む庚申待ちという風習が生まれた。
 これは平安貴族の間で始まり、江戸時代には庶民に広まった。近隣の人々が庚申講をつくり、庚申の日に集まって夜通し眠らず酒宴を行うようになった。本尊の青面金剛(しょうめんこんごう)が、三尸の虫を押さえてくれるという。


庚申堂のくくり猿

 小泉庚申堂本尊の大青面金剛薬叉(やくしゃ)尊絵像は、3目6臂(ぴ)で両足に邪鬼を踏み左右に2童子、4鬼神を配すとされる。寺伝では初代小泉藩主の片桐貞隆(さだたか)が豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍した際、戦場の守護神としてかぶとの中にその絵像を入れていたという。その後小泉陣屋で祀られていたが、明治になって当寺に安置されることとなった。本尊は秘仏で60年ごとの庚申の年に開扉される。次回は2040年の予定だ。
 ご本尊はなかなか拝観できないが、庚申の日に本堂を訪れると青面金剛絵像の軸が何本も飾られている。昔の庚申の日には講の家では絵像を床の間にかけて拝んでいたが、次第に行われなくなった。とはいっても、仏様の絵像を捨てたり焼いたりはできないと当寺に預けられた掛け軸が五十数本あるという。
 また、境内は山門の軒瓦や梵鐘の文様など「猿」があふれている。本尊・青面金剛の命を受けるのが白蛇でその使いとして走るのが猿だ。
 猿は動き回りじっとしていないので、「くくってご猿」または「くくり猿」となった。真っ赤な座布団の四隅を折り曲げて一つにくくり、その間に丸い頭を付けたもので、手足をくくられた猿を表す。本堂内はもちろん、門前や周辺の民家の門口にも梵字がしるされご祈禱(きとう)を受けたお守りの「くくり猿」が下げられている。

                  ※   ※   ※

 ふだん訪れると静かな境内だが、戦前の庚申の日には門前市も盛んで、農機具などを販売する出店が並び、大いににぎわったという。戦後は衰退していったが、地元の庚申講(村戸文比古代表)の熱意で、平成17年秋からにぎわいが復活した。庚申の日には法要のあとさまざまなイベントも催されている。
 庚申の日は、初庚申から終庚申(しまいこうしん)まで年6回あり、今年の初庚申は2月13日だ。一番にぎわう初庚申の日に小泉庚申堂を訪れてみてはいかがだろう。


(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 石田一雄)

なら再発見トップページへ
COPYRIGHT (C) 奈良まほろばソムリエの会 ALL RIGHTS RESERVED.