なら再発見
第5回へ                  第6回 2012年11月10日掲載                  第7回へ
河合町・ナガレ山古墳 ――「1995」年の円筒埴輪も
 広陵、河合の両町にまたがる馬見丘陵公園の国史跡「ナガレ山古墳」(河合町佐味田)に、「1995」の文字が刻まれた円筒埴輪がある。古代人が作ったものではなく、平成7年に作られた埴輪だ。
 古墳の東側に並べられた675本の円筒埴輪のうち494本は強化プラスチックで作られており、残り181本は地域住民が粘土で製作した。
 日付や名前が刻まれている埴輪もある。阪神大震災が起きた1995(平成7)年と、その翌年に作られた。
 命のはかなさを感じたあの頃、形あるものに名を残したいとの思いで埴輪に名前を刻んだ人もいたことだろう。
 企画した町生涯学習課の話では、10〜80代の約120人が参加したという。高さ62センチ、直径32センチほどの円筒埴輪を作るには1〜3日はかかる。その後、約1か月かけて粘土を乾燥させ、瓦職人の協力も得て焼き上げる。
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 ナガレ山古墳が築造された頃には、約1800個の埴輪が並んでいたとされる。現代のように温度調整できるガスや電気の窯はなく、草木などをかぶせて焼く野焼きや登り窯(がま)で製作した。古代人の高い技術には感心させられる。
ナガレ山古墳は全長105メートル。後円部の直径64メートルの前方後円墳で、5世紀初めに造られたとされる。  ナガレ山古墳には1995年製作の手作り円筒埴輪も
 昭和50年ごろ土砂採取で一部が破壊されたが、住民を中心とする保存運動で全面破壊を免れた。その後、町が発掘調査と復元を行い、平成9年に整備が完了した。
 遺跡保存の大切さを教えてくれる存在だ。古墳の東側に埴輪を並べ、西側は芝生が張られた。
 全国には多くの復元古墳があるが、ナガレ山古墳のように古墳時代の当時と現在の姿が対比でき、しかも住民手作りの埴輪を並べたものは他にないだろう。
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 古墳の上に登ると西側には金剛、葛城山、東側には若草山から三輪山にかけての山並みが望める。
馬見丘陵公園は、今年6月に全面開園となった。平成3年の開園から約20年かかったことになる。
 この公園は計画面積が65.3ヘクタールで、巣山古墳をはじめ古墳時代前・中期の大型古墳が集中することで知られる。
 園内のあちこちで四季を通じてウメやサクラ、バラ、ハナショウブなどの花々を楽しめる。ダリア園は、秋が見ごろだ。
円筒埴輪がずらりと並ぶナガレ山古墳=河合町佐味田
 花を楽しみ、野鳥の声を聞きながら園内を歩くと心が癒される。埴輪作りに参加された人たちも、ウオーキングに訪れては自作を確かめていることだろう。

(奈良まほろばソムリエ友の会 安井永)
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