なら再発見
第4回へ                  第5回 2012年11月03日掲載                  第6回へ
率川 ――往時の清流に期待
 約1300年前の奈良時代。奈良市中心部などを流れる佐保(さほ)川を挟んで、東西2本の堀川が平城京を南北に貫き、舟による輸送などに利用されていた。
 「西堀川」とは、西の京辺りを流れる秋篠川で、今も堤防がほぼ直線に伸びている。
一方「東堀川」は率(いさ)川(がわ)の流れを利用し、手を加えたものと考えられている。率川の流れは今、どこで見られるのだろうか。ならまちへ探索に出かけた。
     * * *
 率川という名前で思い浮かぶのは、「ゆりまつり(三枝(さいくさ)祭り)」で有名な率川神社だ。門前を通る「やすらぎの道」の東側路地に入ると「率川橋」と書かれた石柱があり、かつて率川が流れていた名残をとどめている。
 境内には当時の率川を詠んだ万葉歌碑が建つ。「葉根蘰(はねかづら)今する妹(いも)をうら若みいざ率川の音のさやけさ(万葉集)」(ハネカヅラを新たにする娘が初々しいので、さあおいでと誘う率川の音の清らかなことよ)
奈良時代には清流であった様子がしのばれる。
     * * *
 率川の源流は、御蓋(みかさ)山にある紀伊神社付近。春日の森周辺の細流を集め、飛火野の芝地から鷺(さぎ)池などに流下したあと、猿沢池の南側でようやく川(現在は「菩提(ぼだい)川」)の表情を現す。
 猿沢池は、率川をせき止めた人工池。池の南側に樋があり、オーバーフローさせる仕組みになっている。興福寺五十二段下の側溝から、池の北側へ水を導く機能もある。
 側溝へは、春日大社を流れる御洗(みたらい)川の御神水が注がれる。つまり猿沢池は、先人の知恵による合理的な貯水システムを備えている。
菩提川はここから、ならまち内を地下水路で通り、奈良市の公共下水道に流れ込む。所々に昔の橋の名が書かれた石柱が残っており、いにしえの率川の面影が感じられる。
 猿沢池のすぐ西側に「絵屋橋」がある。石畳の小道を西へ歩み、老舗「古梅園」北側の路地を抜けると「率川橋」。率川神社の南側を西へ行けば、「長幸橋」と「柳橋」がある。
     * * *
多数の石仏に囲まれた「率川」の石碑=奈良市今御門町
 菩提(ぼだい)川は、JR奈良駅近くの菩提川公園に入ったあと、大宮保育園辺りで突然、地表に姿を現し、一般河川として流れ、佐保川に合流する。 地表に出た地点には浄水処理施設があり、地下道を流れてきた水を浄化した上で、河川に放流している。
 菩提川といえば近年、水質の悪化が懸念され、報道でも取り上げられた。これを受け、「魚の住める川を取り戻そう」と地域住民らが水質改善の取り組みを進めている。水質は徐々に回復しつつある。率川と呼ばれていた往時の清流に戻る日は近いことだろう。

(奈良まほろばソムリエ友の会 鈴木浩)
なら再発見トップページへ
COPYRIGHT (C) 奈良まほろばソムリエの会 ALL RIGHTS RESERVED.