なら再発見
第8回へ                  第9回 2012年12月1日掲載                  第10回へ
東吉野村 ―― ニホンオオカミの咆哮に耳すませ
 秀麗な山々の麓(ふもと)で、美しい川の流れに沿って集落が広がる東吉野村。同村小川の県道吉野東吉野線北側に実物大のニホンオオカミのブロンズ像がある。昭和62年制作で、当時、奈良教育大教授だった故・久保田忠和氏が手掛けた。
 標本や骨を参考にして作られ、紀伊半島東部の台高(だいこう)山脈に咆哮(ほうこう)したかつての勇姿がしのばれる。
 同村は人とオオカミが最も長く共に暮らしてきた里で、地元では特別の思いがあるのだろう。
 明治38年、同村鷲家で若いオスが英国の東亜動物学探検隊の一員に引き渡されたのを最後に、ニホンオオカミは絶滅したとされる。
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 ニホンオオカミは人懐っこく、害獣を駆除する益獣として人間と共存してきたが、猟銃の普及や病気などで姿を消した。絶滅から100年以上経つが、伝承は今も語り伝えられる。

 同村出身で80歳に近い前防道徳さんは子供の頃、祖父からこんな話を聞かれた。
 「わしの爺さんの代に、オオカミを生け捕りしたが、毎晩オリの前につれあいが来てキャンキャン鳴くのがうるそうて、山に逃がしたそうや」。オオカミは里の人々にとって身近な存在だった。

 絶滅した今、何が起こったか。生態系のバランスが変化し、イノシシなどの害獣による農作物被害が急増したとされる。
 かつてこの地に住んだ俳人、原石鼎(はらせきてい)は大正2年、「淋しさにまた銅鑼(どら)打つや鹿火屋守(かびやもり)」という句を詠んでいる。

 鹿火屋守は、山畑の小屋で火をたき、一晩中、時々ドラを鳴らして害獣を遠ざける役割を担った。
 夜のしじまを破って山々にこだまするドラの音は、まさにオオカミの遠吠えそのものだ。村のニホンオオカミ像は、自然と人間の暮らしのあり方を見つめ直させてくれる。
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咆哮する顔つきが精悍なニホンオオカミの像=東吉野村小川
 像が置かれた高見川北岸からは、中世から安土桃山時代までこの地を治めた小川氏の山城跡が残る峰が望める。
 像の近くには、緑色変成岩に「狼は亡び木霊(こだま)ハ存(ながら)ふる 三村純也」と刻まれた句碑がある。「天皇陛下行幸跡 昭和二十六年十一月十八日」と刻まれた記念碑も建てられている。
 これは当時、旧小川村の植林状況を視察された昭和天皇ご巡幸を記念する碑だ。幕末に決起した天誅組(てんちゅうぐみ)を祀る墓所もある。
 清らかな山河に育まれ、質朴な暮らしが営まれている美しい山里。ここは滅びゆくものにやさしい土地といえるだろう。

(奈良まほろばソムリエ友の会 藤村清彦)
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