< 第30回へ 第31回 2013年6月1日掲載 第32回へ > |
記紀・万葉プロジェクト ―― 神武東遷伝承を今に伝える |
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昨年は古事記が完成してから1300年目の年だった。平成32年は日本書紀完成1300年。記紀が編纂(へんさん)され、多くの万葉歌が詠まれた奈良では、この9年の間に「記紀・万葉プロジェクト」というキャンペーンが展開される。
今年に入ってからも、古事記に登場する県内のゆかりの地63カ所を紹介したガイドブック「なら記紀・万葉名所図会−古事記・旅編」が発行された。
記紀には、神武天皇(神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと))が九州の日向から大和に攻めのぼる「神武東遷」伝承が登場する。神武天皇は天照大神の6代目の子孫だ。
東の方に青山が四周をめぐらした美しい場所がある。国の中心に位置しているそうなので、そこへ行って天下に君臨しようではないか、という壮大な計画である。
神武天皇は地元の豪族に苦しめられ、兄を失いながらも国を平定し、橿原の地で初代天皇の位についた。
この神武東遷を顕彰するため、全国19カ所に「神武天皇聖蹟顕彰碑」が建てられた。これは皇紀2600年(昭和15年)奉祝事業として、文部省(当時)の肝いりで建てられ、なかでも県内には最多の7カ所に碑がある。
市町村別では、東吉野村(1カ所)、宇陀市(2カ所)、桜井市(3カ所)、生駒市(1カ所)―となる。
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祭祀に用いる土器「厳瓮」のレプリカ=東吉野村小の丹生川上神社 |
丹生川上顕彰碑は、東吉野村小(おむら)の丹生(にう)川上神社の近くにある。この碑には神武天皇がお神酒(みき)の器を作って天神地祇(ちぎ)を祭り、勝利を祈願したと刻まれている。その器は「厳瓮(いつべ)」と呼ばれ、お神酒を盛るなど、もっぱら祭祀(さいし)に用いる器だ。
日本書紀(巻三)によると、熊野から軍を率いて北上した神日本磐余彦尊は、ここで厳瓮を使った祈(うけい)をした。
祈とは戦勝祈願の占いのこと。厳瓮を川に沈める。大小の魚が酔って流れれば国を平定できる。そうでなければ事は成し遂げられない、というものだ。
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老舗菓子店の人気商品「いつべ最中」=東吉野村小川 |
果たして厳瓮を川に沈めると、厳瓮の口は下を向き、しばらくすると魚は皆浮き上がって、口をパクパク開いた。これで尊は成功を確信したそうだ。
占いに登場した魚はアユで、この故事にちなんで「鮎」と書かれるようになったという。
神社を訪ね、厳瓮のレプリカを拝見した。優雅な丸みをもつ土器で、酒なら3合ほどは入りそうだ。
帰り道、同村小川の老舗御菓子店「 西善(にしぜん)」で「いつべ最中(もなか)」を見つけた。厳瓮をかたどった小ぶりの最中だ。甘さを抑えた粒あんがたっぷり入っている。記紀万葉プロジェクトにちなんで急ごしらえしたものではなく、以前からの人気商品なのだそうだ。いっそのこと、アユをかたどった菓子とセットにして出せば話題を呼びそうだ。
今年は皇紀2673年。おいしい最中を味わいながら、太古の伝承に思いをはせるのも良い。
(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男) |
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