なら再発見
第35回へ                  第36回 2013年7月13日掲載                  第37回へ >
日本聖公会奈良基督教会 ――景観に合わせた近代和風建築
 
 近鉄奈良駅から南にのびる東向(ひがしむき)商店街は、観光客も多く訪れる県内を代表する商店街だ。
 この通りは平城京の外京六坊大路の跡で、東側は築地(ついじ)塀で囲われた興福寺境内地のため、通りの西側だけに人家があった。それで「東向町」という町名が生まれた。
 商店街の途中に、日本聖公会奈良基督(キリスト)教会と親愛幼稚園があり、フェンス越しに階段と和風の建物が見える。
 日本聖公会とは、英国国教会から生まれ、幕末に米国から伝わった伝統的なキリスト教会で、日本国内には約320の教会がある。立教学院、桃山学院、プール学院、平安女学院、聖路加国際病院など教育、医療、社会福祉などの事業を広く展開している。
 奈良基督教会は、126年前の明治20年、奈良市花芝町に最初の教会堂が開設されたが、信者が増え手狭になったので、興福寺旧境内の現在地を購入し、洋風新教会堂の建築計画を立てた。
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  日本聖公会奈良基督教会の礼拝堂
 ところが27年、奈良公園内に奈良で最初の本格的洋風建築として建設された奈良帝室博物館(片山東熊ほか設計。現在の奈良国立博物館本館で重要文化財)は「奈良公園の景観にそぐわない」とはなはだ不評だった。そこで奈良県は「奈良公園の隣接地には、和風の建物しか建ててはならない」という規則を定めたので、洋風教会では建築許可が下りなかったそうだ。
 そこで郡山藩の棟梁(とうりょう)出身で宮大工の大木吉太郎が、和風建築の設計施工に携わった。熱心な信者でもあった彼は採算度外視、休日返上で普請にあたり、昭和5年に教会堂が完成した。
 和瓦ぶきの屋根に真壁(しんかべ)造り(構造の柱を見せる伝統的工法)の壁面、内部は主に吉野杉や檜(ひのき)を使って数寄屋風(すきやふう)に仕上げられた。祭壇の十字架は七宝(しっぽう)焼だ。木造教会では珍しいパイプオルガン(ドイツ製)が創立100周年を記念して設置されている。この建物は、近代和風教会建築の代表的な建物として、国の登録有形文化財となっている。
 当時の奈良公園内には近代和風建築がたくさんあった。現存する代表的な建物としては、奈良ホテル本館(明治42年完工、辰野片岡事務所設計)と、重要文化財で現在は奈良国立博物館仏教美術資料研究センターとなっている奈良県物産陳列所(明治35年完工、関野貞設計)がある。
 教会堂と渡り廊下でつながった信徒会館には当初から付属の親愛幼稚園が設置され、80年余の歴史を刻んできた。
 実は私は親愛幼稚園の卒園生で、日曜学校も含めここに8年間通った。何十年かぶりに訪れてみたところ、偶然にも幼稚園から一緒だった同級生のお母さんと旧交を温めることができた。
 教会は設立当初から青少年教育に力を注いできた。明治20年の私立奈良英和学校にはじまり、変遷を重ねながら戦後まで続いた。明治末頃に設立された私立奈良育英学校は、大正5年に教会員の藤井高蔵、ショウ夫妻に経営譲渡され、現在の奈良育英学園の前身となった。
 大正9年設立の私立奈良盲唖学校は、奈良県の障害者教育の先駆で、その後県に移管され、現在の県立ろう学校となっている。
 教会堂では、日常の礼拝などの集会のほかに、「開かれた教会」としてパイプオルガンのコンサートや講演会、落語会などの催しが行われている。クリスマスには「光のページェント」として前庭にイルミネーションが飾られる。
 普段は園児の安全確保のために閉ざされている門も、催しの際には市民に開かれる。ぜひ、ぶらりと訪れてみてはいかがだろうか。

(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 石田一雄)
奈良基督教会礼拝堂の内部  
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