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第37回へ                  第38回 2013年7月27日掲載                  第39回へ >
7月27日はスイカの日 ―― 種は8割以上が奈良県産
 
 7月27日はスイカの日。収穫期の7月、スイカのしま模様を綱に見立て「27(つな)」としたのだそうだ。もっとも、しま模様のないスイカもあるが。
 奈良のご当地検定である「奈良まほろばソムリエ検定」の最上級資格「奈良まほろばソムリエ」の試験に、こんな問題が出たことがある(平成21年)。
 「大正時代の後期に奈良盆地の農業を米麦二毛作から田畑輪換方式へと転換するため、県農事試験場がアメリカから取り寄せて種を改良した作物はどれか」。四問択一で、解答を「(ア)ナス」「(イ)イチゴ」「(ウ)スイカ」「(エ)ゴボウ」から選ぶ。
 なかなかの難問だが、アメリカから取り寄せたというところがヒントになる。正解は「(ウ)スイカ」だ。

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 奈良県は古くからスイカの産地として知られてきた。奈良盆地は温暖な気候で雨が少ない。昼夜の気温差の大きい地域も多く、これらの条件はスイカの栽培に適していた。
 大正時代後期、県農事試験場が品種改良事業に乗り出したことにより、栽培が拡大。育種の努力と組織的な統制販売によって「大和スイカ」は全国に広まっていく。

真っ赤に熟したスイカ。奈良県は古くから産地として知られてきた
 昭和20年代までは奈良盆地一帯がスイカ畑で、収穫期には「番小屋」を建て、スイカ泥棒を見張っていたそうだ。今も奈良漬には、直径6センチほどの小さなスイカを使う。
 大和スイカ普及の陰には、「西瓜(すいか)王」と呼ばれる人物の血のにじむような努力があった。明治28年生まれの萩原善太郎氏である(昭和41年没)。22歳からスイカ栽培を始め、「貧乏したけりゃ萩原の農業を見習え」と陰口をたたかれながらも、粘り強く育種実験を重ねた。
 ある日、突然変異の小さなスイカを発見。種を取って育てると、大玉で収量が多く、皮が硬くて輸送に耐えるスイカが獲れた。このスイカと、甘いが皮の弱い県の育成種をかけあわせると、双方の長所を兼ね備えたスイカが誕生。これを「富研号」と名づけ、昭和12年、大阪中央市場の試食会に出すと絶賛を浴びた。
 戦争による中断を経て昭和26年、富研号はスイカとしては初の農林省種苗名称登録の認定を受け、一躍全国に名が広がった。

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田原本町の「萩原農場」で計測される大量のスイカ
 そんな大和のスイカだが、今、奈良県下をめぐっていても奈良市の月ヶ瀬地域などを除き、スイカ畑を目にすることは少ない。これは30年代以降、スイカに代わってイチゴ栽培などが増えてきたからだが、今も全国で栽培されるスイカの種の8〜9割は、県下の複数の種苗会社が出荷している。
 スイカは90%以上が水分で、糖分のほかカリウム、カルシウム、マグネシウムなどのミネラルも含まれている。そこに食塩を少しふりかけると、スポーツドリンクと同じ理屈で熱中症の予防になる。
 最近注目されているのが、スイカに含まれるシトルリンだ。アミノ酸の一種で、血管を拡張して血流を改善する。動脈硬化の予防や冷え性の改善に役立つ。このほか抗酸化作用をもつリコピンはトマトより多く含まれ、体内でビタミンAに変換されるカロテンも豊富。ビタミンAは新陳代謝を促し、肌の老化を予防する。
 そんなスイカの普及を目指して、平成25年3月には「スイカ倶楽部」が発足した。同倶楽部を盛り上げる「スイカメイト」も募集中だ。
 暑い夏には、よく冷えたスイカ。スイカを食べて、猛暑を乗り切りましょう!
(NPO法人奈良まほろばソムリエの会専務理事 鉄田憲男)
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