< 第48回へ 第49回 2013年10月12日掲載 第50回へ > |
大和国四所水分神社 ―― 鎮座する水の神様に感謝 |
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奈良の母なる川で知られる吉野川は、大淀町下渕で分水され、奈良盆地に水が引き込まれている。ここには奈良、和歌山両県が吉野川から取水する量を分けるための「水分(みくまり)」施設、下渕頭首工(とうしゅこう)がある。
古来、奈良盆地では「日照り一番、水つき一番」と言われるほど干ばつや水害に悩まされ、「米一升、水一升」として水を大切にしてきた。そのためか、大和には水分の神々が住むという。
崇神(すじん)天皇の御世から、県内には4か所の水分神社「大和国四所水分神社」がある。宇太水分神社(宇陀市菟田野(うたの))、葛城水分神社(御所市関屋)、吉野水分神社(吉野町吉野山)、都祁(つげ)水分神社(奈良市の都祁地域)の4社だ。
それぞれ奈良盆地の東西南北から見守るかのように、水の神「天之水分(あめのみくまりの)神」をお祭りしている。これらの神社にまつわる物語を紹介しよう。
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宇太水分神社は芳野川沿いに3社あり、総社で最上流の上社(上芳野)、中流の中社(古市場)、下流の下社(下井足)が、それぞれ水分神とゆかりの神を祭神として鎮座している。
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宇太水分神社の菟田野みくまり祭の鳳輦神輿
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毎年10月第3週の日曜に催される「菟田野みくまり祭」がすごい。上社の女神である速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)が豪奢な「鳳輦神輿(ほうれんみこし)」に載り、渡御(とぎょ)行列を仕立て、6キロ離れた中社の男神・速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)に年一回だけの逢瀬にやって来る。
境内にある根元がくっついた2本の大きな夫婦杉の下に、神輿を着座させるロマンチックな秋祭だ。この男女神から誕生したのが「天之水分神」である。
この日、菟田野の各地区から次々と繰り出される勇壮な太鼓台行列の音が響き渡る。伊勢湾台風以来、中断していたが、平成2年のふるさと創生事業で神輿のレプリカを造り、1200年伝統の「みくまり祭」を復活させた。
葛城水分神社は葛城山から流れ出る水越川の上流にある。江戸時代のはじめ、水不足に困った大和側と河内側が、国境の水越峠で争った「元禄水論」という大事件があった。
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吉野川が分水される下渕頭首工=大淀町
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この争いから約300年後、大和の人々の「吉野川から水を」との願いは、下渕の取水施設の完成によってかなった。
吉野の天之水分神は、元々は円錐形の神体山である青根ヶ峯に鎮座していたようだ。この山は東の音無川、西の秋野川、北の象(きさ)川、南の丹生川の4河川の分水嶺にある。
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吉野水分神社は豊臣秀吉が吉野の花見に訪れた際、この神社に子授け祈願をし、誕生したといわれ、秀頼が再建した。本殿は、天之水分神を祭る春日造りの中殿に、流造りの左右殿が付く、三殿一棟の壮麗な水分造り様式。類例のない国宝の建築として有名だ。
都祁水分神社は、飛鳥時代、伊勢国の修行者の霊水が白龍(はくりゅう)となり飛昇。都祁の地へ降り立ち、水分神になったことに始まるとの伝承がある。この神社は大和川の源流地にあり、木津川との分水界に祭られている。
現在、下渕頭首工により大和平野へ分水されている吉野川の水は、太古の古吉野川(こよしのかわ)(いわゆる中央構造線)をまたぎ、2本のトンネルを通って導水されている。今日も絶えることなく水を分け与えていることに、感謝の祈りを捧げたい。
(NPO法人奈良まほろばソムリエの会理事 鈴木浩)
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