< 第56回へ 第57回 2013年12月7日掲載 第58回へ > |
伊勢斎王ゆかりの地 ―― 古代の風を肌で感じて |
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今年は伊勢神宮の式年遷宮に沸いた一年だった。
伊勢神宮と奈良の関係は深い。ご祭神の天照大神は、もと宮中でお祭りされていたのを第10代崇神(すじん)天皇の時代、倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)にお遷しした後、現在の伊勢の地に落ち着かれた。その途中に立ち寄られた場所を「元伊勢」と呼び、奈良県だけでなく各地に点在する。
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7世紀の壬申(じんしん)の乱で、天武天皇は伊勢の方を向いて天照大神を拝み、戦を制した。以来、国をあげて伊勢神宮をお祭りすることになった。
朝廷を代表して伊勢の地で祭祀(さいし)を行ったのは斎王(さいおう)という未婚の女性皇族だった。正式な制度となった最初の斎王は大来(おおく)皇女。天武天皇の娘で、悲劇の皇子、大津皇子の実姉だった。
「日本書紀」には天武2年、大来皇女が泊瀬斎宮(はせいつきのみや)に入り、約1年半の間、そこで精進潔斎(けっさい)した後、伊勢に旅立ったとある。
泊瀬斎宮と伝わる場所のひとつが、長谷寺(桜井市)から泊瀬川を山に約5キロ入ったところにある小夫(おおぶ)天神社だ。天照大神を祭り、倭笠縫邑の伝承地でもある。
斎宮山の麓に鎮座し、美しく掃き清められた境内には、5世紀末の顕宗(けんそう)天皇の記録にも記されている、樹齢1500年といわれる巨大なケヤキの木が堂々とそびえ立ち、悠久の時を見守っている。
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化粧川にある岩瀬「化粧壺」=桜井市
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この神社からほど近い修理(しゅり)枝の集落に、大来皇女がみそぎをしたと伝わる岩瀬「化粧壺(つぼ)」がある。今は田畑に囲まれているが、化粧川のせせらぎのわずかな岩淵に神々しいたたずまいをみせ、清らかな皇女の面影を今に伝える。
斎王の務めは天皇の在位中ずっと続き、大来皇女は約13年もの間、都から遠く離れた伊勢の地で過ごした。大来が任を解かれて都に帰ってきたのは、最愛の弟、大津が謀叛の罪で処刑されたひと月後だった。
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森神社境内にある姫大神社とケヤキの古木=天理市
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奈良時代の斎王だった井上(いがみ)内親王は後に皇后となるが、皇太子とともに幽閉され、失望のうちに生涯を閉じた。任を解かれての帰京は希望に満ちたものであっただろうに。
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天理市森本町の森神社。国道沿いにありながら、今でも森閑とした空気に包まれている。古い由緒をもつこの社の境内地を菩提仙(ぼだいせん)川が流れる。
その清流に沿って鎮座する境内社姫大神(ひめおおかみ)社は、平安時代の作法書によると、解任された伊勢の斎王が帰京前、名張、都祁(つげ)に続き禊(みそぎ)をした場所であるという。
都が京都に遷るまで、いつの時代からここが斎王の禊場になっていたのかは不明だが、ケヤキの古木がうっそうと茂る姫大神社の禊場に下りてみると、斎王たちがどんな気持ちで都に戻ってきたのだろうかと、胸に迫るものがある。
さまざまな時代の斎王に思いをはせて、古代の風を肌で感じることができる場所である。
(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 辰馬真知子)
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