< 第55回へ 第56回 2013年11月30日掲載 第57回へ > |
法輪寺三重塔 ―― 小説「五重塔」のゆかり結ぶ |
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「斑鳩三塔(いかるがさんとう)」とは、法隆寺五重塔、法輪寺三重塔、法起寺(ほうきじ)三重塔。法隆寺から北東に並ぶ斑鳩町の3つの塔だ。聖徳太子ゆかりの寺や、その歴史と深く関わってきた集落の中に塔が点在する風景は、決して他所では見られない。
しかし今年で25周年を迎えた世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」の構成資産に、法輪寺三重塔は入っていない。昭和50年の再建だからだ。
7世紀に創建されたとされる法輪寺三重塔は、江戸時代の台風で金堂などの諸堂が倒壊し、かろうじて塔だけが三層目を吹き飛ばされながらも残った。
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創建当初の姿で再建された法輪寺の三重塔=斑鳩町
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修復の後、明治時代に最大最古の三重塔として国宝に指定され、解体修理も行われたが、太平洋戦争中の昭和19年7月の落雷で炎上、焼失した。戦時中の金属供出で避雷針がなくなっていたからだといわれる。
落雷の衝撃で、竜車(塔の先端部である相輪のうち上から2番目)に納められていた仏舎利が、容器ごと飛び出して焼失を免れた。容器を包んでいた金襴(きんらん)の袋ごと偶然、当時小学生だった元住職の井ノ上康世師に拾われた。その仏舎利は、再建された塔の心礎に安置されている。
当時の住職・井ノ上慶覺(げいがく)師は焼失直後から再建を決意し、ようやく昭和30年代後半から再建事業としての形をとりはじめた。
しかし、国宝指定解除により国の補助金が出ないため、全額を自前で調達しなければならなかった。寄付を募って資金を準備し、ようやく用材を購入してめどが立ったところへ、万博景気などによる人件費の高騰で資金不足に陥り、工事は頓挫した。
そこで支援に立ち上がったのが小説「五重塔」で知られる明治の文豪・幸田露伴(こうだろはん)の娘で、随筆家・小説家の幸田文(あや)だ。
小説「五重塔」は、腕はあるが貧しく世間から評価されていない大工・のっそり十兵衛が、谷中感応寺(やなかかんのうじ)(東京都台東区、現在の名称は天王寺)に五重塔が建立されることを聞いて、一生に一度の仕事をやり遂げたいと決意。困難を乗り越えて塔を完成させる話だ。
彼女は法輪寺三重塔再建のため、前進座で上演された劇「五重塔」の上演料や精力的に行った講演の謝礼金を自ら寄進。寄進集めの先頭に立った。
官公庁との交渉を買って出るなど精力的に支援を続け、46年から約1年間は法輪寺の近くに仮住まいを設け、工事の進捗(しんちょく)を見守った。着物姿で工事現場の足場をのぼる姿が写真に残されている。
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慶覺住職の後をついだ康世住職の全国勧進行脚や幸田の呼びかけに応えた全国からの支援もあって、ようやく資金が調った。
工事は「最後の宮大工」といわれた西岡常一棟梁(とうりょう)のもと、50年3月、旧来の場所に創建当初の姿で再建された。現在の塔内には焼失時に救出された釈迦如来坐像と四天王像が安置されている。
昭和の人と知恵と努力で蘇った「飛鳥時代の塔」と、日本最古の五重塔・三重塔が立ち並ぶ「斑鳩三塔」をたどり、先人の労苦に思いを致してほしい。
(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 石田一雄)
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