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桃太郎生誕の地 ―― 吉備津彦命の古里 田原本 |
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「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがすんでいました」で始まる昔話「桃太郎」を親から聞いたり、子供に話したことが誰にもあるだろう。
久しぶりに会った孫の添い寝に、桃太郎の話がすらすらと口から出ておかしかった。そういえば冠婚葬祭で故郷広島から帰る途中、必ず岡山名産の桃と吉備団子を土産に買い、その夜は「桃太郎」の話をして子供たちを寝かしつけたものだ。わが家のむかしむかしの日々が懐かしく思い出された。
桃の名産地で古代の「吉備国(きびのくに)」である岡山県は、桃太郎伝説発祥の地といわれる。吉備津(きびつ)神社(岡山市)周辺には桃太郎と鬼のモデルとされる吉備津彦命(みこと)と温羅(うら)の戦いの伝承話や、鬼(き)ノ城(じょう)跡などの史蹟が残っている。
大和朝廷から派遣された吉備津彦命が百済(くだら)から渡来して暴れまわっていた温羅と称する鬼を退治した物語が、桃太郎伝説の基になっている。
桃太郎のお供には犬がいたが、吉備津彦命に従った家来に犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)がいたそうだ。昭和7年の5・15事件で殺された岡山出身の犬養毅首相の遠祖という。曾孫(ひまご)の緒方貞子氏の国連平和活動への献身ぶりはご先祖譲りだろうか。
岡山以外に愛知県犬山市、香川県高松市などにも同様の桃太郎伝説が伝わり桃太郎神社もある。
奈良県も負けてはいない。田原本町は「桃太郎生誕の地」を全国に発信している。桃太郎のモデル・吉備津彦命は田原本町黒田の地に廬戸宮(いほどのみや)を営んだ第7代孝霊(こうれい)天皇の皇子である。新緑の季節、春風に吹かれて桃太郎の古里を訪ねた。
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桃太郎生誕の地とされる法楽寺=田原本町黒田
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近鉄田原本線・黒田駅の近くに法楽寺がある。孝霊天皇黒田廬戸宮跡に聖徳太子によって建立された寺と伝わる。室町時代には25の堂宇を擁したが、現在は1堂を残すのみ。桃太郎のモデルの吉備津彦命はこの地で生まれたので田原本町は桃太郎の生誕地なのだ。
町内にはゆるキャラ「ももたん」の案内標識があちらこちらに見られる。野菜畑のトマトは「桃太郎」だろうか。トマト嫌いの子供向けの命名かと種会社のホームページを見ると、フルーツ感覚のトマトの名前として、誰でも知っている桃太郎の名が付けられたそうだ。
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桃太郎のゆるキャラ「ももたん」の案内標識
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駅前の道は聖徳太子が斑鳩宮から飛鳥京へ愛馬の黒駒に乗って通った太子道だ。すこし先に孝霊(廬戸)神社がある。もとは法楽寺の鎮守社だったが、神仏分離令で現在地に遷座された。
御祭神の中に箸墓(はしはか)古墳に眠る倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の名もある。吉備津彦命の姉にあたり邪馬台国の卑弥呼だともいう。田原本町は卑弥呼生誕の地でもあるのだ。
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田原本町では古事記編纂(へんさん)者の太安万侶(おおのやすまろ)を忘れてはならない。古事記には伊邪那岐(いざなぎ)命が黄泉(よみ)の国より逃れるとき、追い掛けてきた鬼に桃の実を投げて窮地を脱した話がある。
桃の実が邪鬼を追い払う古事記神話が桃から生まれた桃太郎が、邪鬼を退治する後世の「桃太郎」話につながったのだろうか。古事記の場面に空想を巡らせながら太安万侶が祭られている多(おお)神社目指して歩いた。
(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 田原敏明)
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