< 第86回へ 第87回 2014年8月2日掲載 第88回へ > |
安堵町善照寺 ―― 冨生の松と蓮如の掛け軸 |
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安堵町にある善照寺(ぜんしょうじ)は浄土真宗本願寺派の寺で、応仁元(1467)年には開山していた念仏道場を元とする。本堂前には、無数の手足を踏み広げたような形の大きな黒松がある。「冨生(ふしょう)の松」の名で呼ばれるいわゆる「根上(ねあ)がりの松」だ。
根元の土が流れてしまい、根がむきだしになった状態で生えているものを「根上がりの松」といい、盆栽などではわざとこのような形に造る。町中の寺の境内にこのような形であるのは非常に珍しい。「根上がり」が「値上がり」に通じ、商売や相場をする人たちから縁起が良いと信仰を集めていたそうだ。
樹齢は約300年。根の股にニホンミツバチが共生しているのも珍しく、暖かくなると元気に飛び回っている。
この松は約250年前に福井県冨生村から運ばれた。福井と言えば浄土真宗中興の祖・蓮如(れんにょ)上人(1415〜1499)が他宗派から京都を追われ、復活の拠点とした吉崎御坊(よしざきごぼう)があったところで、その縁でここへ来た松だ。
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善照寺境内の冨生の松=安堵町
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取材で寺を訪れたとき、数カ月前に本堂から見つかり、蓮如上人の直筆と判明した「六字名号(ろくじみょうごう)」の掛け軸が表装を終えて戻ってくると聞いた。ぜひ見せていただきたいとお願いすると、快くご了承いただいた。
「六字名号」とは「南無阿弥陀仏」の六文字を指す。この掛け軸を、ご本尊として拝んでいたのだ。一般庶民を中心に広まった真宗では高価な仏像を拝まずとも、阿弥陀仏に対する真っすぐな心があれば、むしろ質素な掛け軸を拝むのが好ましいとされた。蓮如自ら筆を執り、全国の寺や道場に配り、信仰を広めたため、各地に何点かが現存し、文化財指定を受けているものもある。
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蓮如直筆の六字名号の掛け軸
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複製も多く作られたようだが、蓮如の手紙などが現存するので、真贋(しんがん)の判別はつきやすい。拝見した掛け軸は特徴的な筆跡で「南無阿弥陀仏」とある。特に、「阿」の文字がひらがなの「つ」の様に見えるのが大きな特徴だ。500年以上の時を耐え抜いた文字を目前にして、感動をおぼえた。
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善照寺のすぐ裏には太子道が通っていて、この辺りは聖徳太子が住んだ飽波葦垣宮(あくなみあしがきのみや)の想定地の一つに数えられる。浄土真宗の宗祖・親鸞上人は聖徳太子にあこがれ、修行中の比叡山から太子建立の六角堂(京都市)に百日参籠(さんろう)を行い、95日目に太子の化身、救世観音(くぜかんのん)が夢に現れて「極楽往生」を約束される。それを機に比叡山を離れ、浄土宗を開いた法然上人の元へ入門し、後に浄土真宗を開いた。
開祖親鸞から数えて八世蓮如の掛け軸が、太子道にあるこの寺に残されているは、何か不思議な縁を感じる。
今日も境内には親鸞と蓮如の銅像が「冨生の松」を眺めるように立っている。
(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 西川 誠)
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