二上山は大阪と奈良の県境にあり、雄岳(おだけ)と雌岳(めだけ)の二つの峰が印象的な山だ。古くは「ふたかみやま」とも呼ばれ、聖なる山として万葉の時代から崇(あが)められてきた。古代の大和では、死者の魂は二上山の彼方(かなた)へ去り、そして三輪山からの日の出とともに生まれ変わると信じられてきた。
二上山は、悲劇の皇子と称される大津皇子(おおつのみこ)の鎮魂の場所だ。天武天皇の皇子の中で、皇位継承の有力候補は天智天皇の娘である大田皇女(おおたのひめみこ)を母とする大津皇子と、その実妹・鵜野(うのの)皇后(後の持統天皇)を母とする草壁(くさかべの)皇子であった。
大田皇女はやがては皇后となる可能性があったが、大津皇子の幼少期に死去してしまう。そのため大津皇子は後ろ盾が乏しかったが、日本書紀や懐風藻(かいふうそう)の記述によると、文武両道に優れ、人望も厚かったという。
わが子を皇位につけたいと切望する鵜野皇后にとって、大津皇子は目の前の巨大な障壁と感じたに違いない。天武天皇が亡くなるや否や、皇后は大津皇子に謀反(むほん)の罪を負わせ葬り去ったとの説が伝わる。
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大津皇子の「本当の墓」との説が有力な鳥谷口古墳=葛城市染野
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