なら再発見
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薬師寺 ―― 伽藍と日本人の心を復興
 
 薬師寺(奈良市)は7世紀末の白鳳(はくほう)時代、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒(へいゆ)を祈念して発願(ほつがん)し、飛鳥の地に完成した。その後の遷都に伴い、平城京右京六条二坊の地に遷されたのが現在の薬師寺だ。
 古い歴史を持つこの寺は1300年の間、幾多の災害を受け、古の面影を伝える建物は東塔だけとなっていた。荒廃したかつての大寺は文人が「滅びの美」と称賛し、失われた西塔の塔心礎(とうしんそ)に水がたまり、そこに映る東塔の姿が美しいとされた。
 そんな状況のなか、昭和42年に管主(かんす)となった故高田好胤(こういん)師はかつての白鳳伽藍(がらん)をよみがえらせることを発願し、金堂復興にかかる10億円もの莫大(ばくだい)な費用を写経勧進(しゃきょうかんじん)で調達することを決意した。
 当時は高度経済成長期であり、企業や財界に大口の寄付を求めることも可能であったろう。だが、あくまでも仏教の理念に基づく精神的なアプローチをとり、小口でもより多くの人々による寄進がありがたいと考え、一般大衆に「般若心経」の写経で「心のやすらぎ」を得てもらい、仏心の種まきをしながらの復興をめざした。
 そして1巻1千円(現在は2千円)の納経料を建設費用にあてることにした。金堂建設の費用を納経料でまかなうには100万巻の写経勧進が必要であり、当初はとても無理な運動と思われた。
 しかし寺が一丸となって勧進し、多くの人々がこの運動の意義を理解して写経に参加した結果、7年後には100万巻を突破。金堂の復興がなった。今私たちが目にしている金堂、西塔、回廊、中門、大講堂は、すべてお写経の納経者の力で復興されたものだ。この運動は聖武天皇が民衆に「一枝の草 一握りの土」でも大仏造営への協力を求めたことを思い起こさせる。昔も今も民衆の祈りが結集すると大きなパワーとなり、後世に残る財産となるのだ。

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 薬師寺は伽藍復興というハード面だけではなく、日本人の心を取り戻す活動も行っている。
 寺内でいつでも写経ができる写経道場のほど近くにまほろば会館がある。「物で栄えて心で滅びる」ことを憂い、日本人が継承してきた勤勉や美徳の心をとりもどすための啓蒙(けいもう)活動をする「薬師寺まほろば塾」を開催している。
 そのまほろば会館に先日、2幅(ふく)の仏画が奉納された。仏画師、福井祥好(しょうこう)氏の「薬師十二神将図」と「阿弥陀二十五菩薩来迎図」だ。「薬師十二神将図」は20年ほど前に奉納され、写経道場に掲げられていたので目にされた方も多いであろう。
 絹本に描かれ、細い金箔(きんぱく)を貼っていく截金(きりかね)で仕上げられた作品は荘厳さと華やかさとともに透明感があり、精神の昇華を感じさせる。
 

左:薬師十二神将図(福井祥好氏提供) 右:阿弥陀二十五菩薩来迎図(同)

 作者の福井氏は大切な人を不慮の事故で亡くすという辛い経験をした。その悲しみと心の葛藤を癒してくれたのが、30年前に目にした聖観音の柔らかな慈愛のまなざしと、温かく包みこむたたずまいだったという。
 それまで声楽の道を歩んでいた氏は、音楽に寄せていた情熱を仏画へと急転回。大仏師、故松久宗琳(そうりん)氏に師事し、才能を開花させた。
 信仰心をもって描く福井氏の絵には魂があり、祈りがある。描く仏は頼もしく、菩薩はやわらかな優しい表情で見る者を包みこみ、天部は躍動感あふれ力強く勇ましい。見る者を仏の世界へと優しく誘ってくれる。日本の伝統文化と豊かな心の復興をめざすまほろば塾にふさわしい仏画だ。
 機会があれば拝していただきたい。前に立つと自然と手を合わせたくなることだろう。

(NPO法人 奈良まほろばソムリエの会 辰馬真知子)

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